映画『空母いぶき』で「難病を揶揄する設定」に変更させた “権力側の” 佐藤浩市氏、演技力のなさをも示す間抜けな結果となる

 映画『空母いぶき』で首相役を演じた俳優の佐藤浩市氏が難病を揶揄する発言を小学館・ビッグコミックのインタビューで述べたことが問題視されています。

 個人がどのような政治思想を持つかは自由です。しかし、「配役の内容」を自らの意向で変更させた上、その内容は「難病を揶揄するもの」となっているのです。

 変更を認めた製作陣も問題ですし、出演俳優の意向が作品に色濃く出ていることが示されてしまったのです。『不祥事を起こした俳優が出演している作品』が公開停止になる正当な根拠にもなり得ると言えるでしょう。

 

佐藤浩市氏が『ビッグコミック』で語っていた内容

 『空母いぶき』は小学館の『ビッグコミック』で連載されているため、映画化に伴い主要キャストを演じた佐藤浩市氏のインタビューが行われたという経緯があります。その中で佐藤氏は次のように語りました。

  • 最初は(首相役を)絶対にやりたくないと思った
  • 体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残っている
  • 周りの空気もそんな感じ
  • 「彼(= 演じる首相役)はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまう」という設定にしてもらった
  • だから、トイレのシーンでは個室から出てくる

 問題は佐藤氏が難病を揶揄する表現に原作からの改変を要求したことです。

 「オファーされた役柄に好感を抱くか」は個人の自由ですし、「体制側の立場を演じることに抵抗感を持つこと」も個人の自由です。これらの点は佐藤氏が批判される理由にはなりません。

 しかし、難病を揶揄することは論外です。要求を出した佐藤氏も変更要求を受け付けた製作陣も厳しい批判にさらされるべきだと言わざるを得ないでしょう。

 

「ストレスで嘔吐する演技」ができない俳優・佐藤浩市

 俳優であるなら、原作を映像化した際の演技に長けているはずです。原作に登場する垂水慶一郎首相は「嘔吐はするも、最前線に立つ有能な人物」として描かれています。

 「ストレスによる嘔吐」を演じれないのですから、佐藤浩市氏の俳優として技量は過大評価されていると言えるでしょう。

 また、「絶対にやりたくない」と言っていたにも関わらず、「すぐに腹を下す設定」に変更すると引き受けているのです。政治的信念という点でも残念なレベルと言わざるを得ません。

 俳優に期待される『プロの仕事』ができない上、 “個人の感情” を仕事に持ち込む人間であることが明らかになってしまいました。佐藤氏が今回の発言による損失を被るのはこれからが本番と言えるでしょう。

 

「原作どおりの登場人物を演じたくない」との理由で設定変更ができる佐藤浩市氏は “権力側” の人間

 佐藤浩市氏は「体制側の人間を演じることに抵抗感がある」と主張していますが、彼は芸能界では「権力側」の人間です。

 なぜなら、「原作の登場人物をキャラクター変更させる」という権力を有しているからです。これは芸能界の体制側に属していなければ、できないことです。

 難病を揶揄した佐藤浩市氏に対し、芸能界の “ご意見番” がどれだけ苦言を呈することができるかがバロメーターでしょう。「表現の自由」で佐藤氏を守ることは可能ですが、「難病を揶揄したこと」に対しては批判しなければなりません。

 それすらできないのであれば、“ご意見番” とやらは廃業すべきでしょう。

 

 日本では出版業界だけでなく、映画などのコンテンツ産業も苦境に立たされています。これは「製作陣が原作を改悪」したり、「俳優陣が自らの政治思想を作品に反映」させようとするから、コンテンツの魅力が損なわれてのです。

 コンテンツの制作能力を持っていない表現者が最終段階で “口出し” すれば、オリジナルコンテンツを知っている “コアなファン” からネガティブな評価が噴出します。

 現在は「演技者や製作陣に対する評価が半永久的に残る時代」です。自らの発言による責任は自分で取るべきでしょう。また、俳優陣の意向が作品に強く反映されることも明らかになったのですから、不祥事を起こした俳優の作品が公開停止などになるのも止むを得ないと言えるのではないでしょうか。