ニューヨーク・タイムズが中国政府がウイグル族への弾圧の実態をスクープし、他社のジャーナリズムが問われる状況に

 読売新聞によりますと、中国政府によるウイグル族への弾圧の実態を示す内部文書を入手したニューヨーク・タイムズがその内容を報じたとのことです。

 「テロや分離主義との闘い」と位置づけ、「無慈悲にやれ」と指示しているのですから、弾圧と表現されるのは適切と言えるでしょう。民主主義と相反する政策を行っている実態が明らかになった以上、リベラルを名乗るメディアは社説などで自分たちの見解を表明する責務があるはずです。

 

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は16日、少数民族ウイグル族に対する弾圧の実態を示す中国政府の内部文書を入手し、その内容を報じた。

 (中略)

 ニューヨーク・タイムズによると、入手した文書は、習氏や中国共産党幹部の非公開の演説資料のほか、新疆ウイグル自治区当局者への指示書など24種類、計403ページに上る。このうち、2014年に新疆ウイグル自治区で暴動が起きた際に習氏が行ったとされる演説では、習氏がウイグル族の取り締まりを「テロや分離主義との闘い」と表現し、「一切容赦はするな」と指示していた。

 文書にはまた、中国政府が少数民族の「職業技能教育訓練センター」だと主張する「再教育施設」について、収容者の家族からの問い合わせに対応するための想定問答などもあった。

 

「中国政府の政策によってウイグル族への弾圧が行われた」という証拠が提示されたことは大きい

 新疆ウイグル自治区は「SF に出てくる監視都市」と揶揄されるほど、当局(= 中国政府)の取り締まりが厳しい地域として知られています。

 表向きは「テロとの戦い」という “大義名分” があったのですが、今回のニューヨーク・タイムズのスクープでこれが瓦解したと言えるでしょう。なぜなら、一線を越えた取り締まりに手を染めている認識を当局が持っていたことが明らかになったからです。

 『再教育施設』で行われている内容が「教育」であるなら、中国政府の方針に疑問を持つ海外メディアに内容を公開することができるはずです。

 しかし、その内容が「教育」ではなく、「思想教育(=洗脳)」であるとの認識を持っているのでしょう。だから、存在自体を認めず、収容者の家族からの問い合わせに対する想定問答集が準備される事態になっているのだと考えられます。

 

中国に対し、「ウイグル族の人権は確保されている根拠を確認させろ」と迫るメディアが存在するかが注目点

 中国政府はニューヨーク・タイムズが報じたスクープの内容に対し、「沈黙」を選択しているのですから、ジャーナリズムを掲げる報道機関として「事実確認をさせろ」と要求すべきです。

 ニューヨーク・タイムズが報じたニュースを転電するだけでは「アリバイ作り」と同じです。「他社が報じたスクープが事実なのか」を確認することは大事ですし、「報じられた内容で意図的に欠落している情報があるのではないか」との疑いを持って取材活動を行うことも重要です。

 マスコミ同士が相互監視の状態にあれば、メディアは報道機関として生き残ることは可能でしょう。

 しかし、現状は「同業者の失態を仲間内でかばい合っている」のです。リベラル・メディアが報じた記事の信憑性を他のリベラル・メディアが確認することは極めて稀ですし、問題点の指摘については皆無に近いレベルです。

 「口先だけのジャーナリズム」は「行動力のあるネットユーザー」に “瞬殺” されてしまうのですから、(特に先進国の)既存メディアはビジネスモデルそのものを変化させなければならない過渡期を迎えていると言わざるを得ないでしょう。

 

マスコミは「現地での取材活動」か「社説での見解表明」をすべきでは?

 人権を蔑ろにする政策をしていることが明らかになった中国に対し、ジャーナリズムを掲げるマスコミは “具体的な行動” を起こす責任があります。現地取材であっても、社説での見解表明でも問題ありません。

 なぜなら、報道機関が活動したことで得た情報を世間に向けて発信することに意味があるからです。

 安全地帯からキレイゴトを述べるだけでは多くの一般人と何ら変わりありません。反撃してこない相手にしかタフな質問ができず、独裁国家の顔色を伺ってばかりの “報道機関” に残された寿命は急激に縮まるだけです。

 政治的な偏りが著しいことで批判をされているニューヨーク・タイムズがウイグル問題の独占スクープを出せた理由は「握りつぶさずに報道する」との信頼が他のメディアよりも残っていたからでしょう。

 権力との対決姿勢を打ち出して読者を獲得しようとするのであれば、中国のような国家に対しても “社の方針” を貫く必要があると言えるのではないでしょうか。