東京地裁が「音楽教室での楽曲利用も使用料が必要」との判断を示し、JASRAC に軍配が上がる

 NHK によりますと、ピアノ教室などでレッスンの際に使用されている楽曲に対する使用料請求が認められるかが問われていた裁判で東京地裁が JASRAC (日本音楽著作権協会)勝訴の判断を示したとのことです。

 訴えを起こしていた音楽教室側は「(JASRAC の)管理コンテンツを無料で使わせろ」との主張でしたから、全面敗訴は当然でしょう。他者のコンテンツを無料で営利目的のために使える方が問題と言わざるを得ないからです。

 

 ピアノ教室などのレッスンで使われる楽曲の著作権をめぐり、使用料の請求の対象となった音楽教室などがJASRAC=日本音楽著作権協会を訴えた裁判で、東京地方裁判所は使用料を請求できるという判断を示し、教室側の訴えを退けました。

 (中略)

 28日の判決で東京地方裁判所の佐藤達文裁判長は「楽曲を利用しているのは、生徒や教師ではなく事業者である音楽教室だ」と指摘しました。

 そのうえで「生徒は、申し込んで契約を結べば、誰でもレッスンを受けられるので不特定多数の公衆に当たる」として、JASRACは音楽教室に使用料を請求できるという判断を示し教室側の訴えを退けました。

 

「『JASRAC が管理している楽曲』を “営利目的の音楽教室” が自由に使えるのか」が争点

 発端は2017年2月にヤマハや河合楽器などの音楽教室から著作権料の徴収するとのニュースが出たことでしょう。

 楽曲の著作権を管理する JASRAC からすれば、「音楽教室は営利目的で “JASRAC の管理楽曲” を使用している」のです。使用料を請求する権利があるのは当然です。

 JASRAC は「使用するなら対価を払え」と “事業者に” 言っているのです。「楽曲を使うな」と言っているのではありません。

 にも関わらず、音楽教室は「音楽文化を普及させるために無料で使わせろ」と主張しているのです。この姿勢は問題視されるべきものと言わざるを得ないでしょう。

 

コンテンツ制作者に対する “正当な対価” の支払いを拒絶することが認められなかったのは大きい

 音楽教室の姿勢への共感が少ない理由は「演奏人口を増やしたいが、演奏曲の使用料は払いたくない」という “身勝手な論理” が鮮明だからです。

 演奏人口が増えれば、音楽教室の収入は上がります。ただ、楽器の演奏人口を増やすには『演奏したいと思える曲』があることが必要条件です。

 ところが、世間の人々が『演奏したいと思う曲』は流行曲が中心であり、それらは著作権で守られています。これを「音楽教育の一端を担っている」との理由で “音楽教室だけ” が無料で使えることは問題でしょう。

 音楽教室は「音楽教室の一端を担う」と同時に「楽器販売の営業拠点」でもあるのです。営利目的であることは事実ですし、使用料の支払いを拒めば収益性は大きくなります。

 他者が制作したコンテンツを使用することへの正当な対価を支払うことに非消極的な事業者には厳しい批判が浴びせられるべきと言えるでしょう。

 

原告側が控訴しても、世間の風向きが変わることはないだろう

 原告側の代表である大池真人氏は NHK に「音楽教育での著作物の利用をもっと円滑にすることやもっと演奏人口を増やしていけるかについての声を広め、適切に戦っていきたい」と控訴の意向を表明しています。

 所定の使用料を払えば、他者の著作物を使用することは可能です。『著作権で守られている他者のコンテンツ』を “無料で” 今よりも円滑に(≒ 自由に)使えるようになれば、音楽教室にとっては理想でしょう。

 しかし、著作コンテンツを他者である音楽教室に無断使用される制作者は『正当な対価』が得られないのですから、『新たなコンテンツ』は生まれにくくなるでしょう。なぜなら、コンテンツ制作費を回収するための有力手段が失われるため、制作者の生活が成り立たなくなるからです。

 その結果、一時的に『演奏人口』が増えることはあっても、『音楽文化』は衰退へと向かうでしょう。ただ、音楽教室の現経営者が引退するまでは『音楽文化』は残っているはずです。

 だから、将来の “種籾” である「制作者への還元」を『自分たちの売り上げ』に振り替えることに迷いがないのだと考えられます。

 

 JASRAC の世古・常務理事は「すでに使用料を支払っていただいている教室事業者もいる」と述べており、正当な対価を支払う事業者も存在しています。

 『〇〇教育』を理由に他人のコンテンツを無料で利用できるなら、漫画や映像も同じロジックで使えるため、海賊版の存在を肯定することになってしまいます。

 制作者が正当な対価を得るためにも、今回の地裁判決が確定になるべきと言えるのではないでしょうか。