ニューヨーク・タイムズが「暴動鎮圧のための軍投入を求める寄稿記事」への批判に屈し、『表現の自由』を担保していない実態をさらす

 読売新聞によりますと、アメリカのニューヨーク・タイムズが「抗議デモ活動が暴徒化して無秩序状態になったことへの対応策として軍を投入せよ」との寄稿記事に対する反発を受け、論説欄の編集長が辞職したとのことです。

 事象に対して賛否両論が存在することは当たり前です。また、リベラル派は『言論の自由』を掲げているのですから、主張に対する反発に屈することがあってはならないはずです。

 しかし、記者や読者からの寄稿記事への反発に屈したのです。リベラル派は「自分たちが支持する主張の範囲内でしか『表現の自由』を許さない弾圧主義者」であることが示されたと言わざるをえないでしょう。

 

 米紙ニューヨーク・タイムズは7日、論説欄の編集トップを務めるジェームズ・ベネット氏が辞職したと発表した。タイムズ紙は3日、黒人男性死亡事件に対する抗議デモ鎮圧を目的とした米軍投入を訴える共和党議員の寄稿を掲載し、社内外の反発を招いていた。

 (中略)

 3日付タイムズ紙電子版に掲載された寄稿はトム・コットン上院議員(共和党)の「軍隊を投入せよ」と題する論説で、現状を「暴徒たちが多くの都市を無政府状態に陥れた」と指摘し、秩序回復に「圧倒的な力」を見せるべきだと訴えた。

 寄稿にはタイムズ紙の記者らが反発し、ツイッターなどで「黒人社員を危険にさらす」「掲載を恥じる」「取材先から『今後、取材に応じない』と言われた」と訴えた。読者から購読停止を求める連絡も多数寄せられたという。

 

発端は “ニューヨーク・タイムズとは無関係な人物” による寄稿記事

 発端は「Op-ed に掲載された寄稿記事」です。日本では聞きなれない Op-ed (オプエド)ですが、これは「opposite the editorial page」という意味です。

 新聞社が自社の見解を示すのは『社説』ですが、英語では "editorial page" と表現されます。opposite は「反対」の意味があり、『社説』の “対面” に掲載されることが一般的であるため、Op-ed と表現されているのです。

 オプエドを掲載するのは基本的に「外部の第三者」です。そのため、寄稿記事となる場合が主流です。

 今回も(リベラル的な社説を採る NYT に対し、)政治的に逆の立場にいる共和党のコットン上院議員が「暴動・略奪で無秩序状態に陥れられたのだから軍を投入して “圧倒的な力” を見せることで秩序を速やかに回復させるべき」との寄稿が行われました。

 ここまでは何の問題もありません。ニューヨーク・タイムズが掲げる政治的主張とは真逆の寄稿記事など珍しくもないでしょう。しかし、記事に対する反応が最悪で拗れることになったのです。

 

「寄稿記事に反論して論破」するのではなく、「寄稿を掲載することはけしからん」との声に負けた NYT

 ニューヨーク・タイムズ内(の記者など)からも反発の声が上がったのは「痛いところを突かれたから」でしょう。なぜなら、「平和的な抗議活動」という『建前』で根拠に Black Lives Matter のあらゆる活動に理解を示す記事を掲載しているからです。

 しかし、『実態』は抗議活動を “隠れ蓑” に暴動・略奪が発生しているのです。

 ここを突かれたのですから、全面擁護記事を掲載し続けてしまうとコンプライアンス上の問題が発生します。「他者の所有物を破損・搾取する財産権の侵害」という犯罪行為を支持することは自らの社会的生命にとって致命的なのは自明です。

 (コットン上院議員の)寄稿記事に対して反論を選択すれば、「財産権の侵害を容認のか」との再反論を受けて窮地に立たされるのは明らかです。だから、『反論』ではなく『封殺』を選択したのでしょう。

 その結果、ニューヨーク・タイムズの読者層や編集方針の支持者層が受け入れがたいと感じる主張を表現することが不可能になってしまいました。これは『言論の自由』にとって致命的なことです。これを認識できない NTY に『表現の自由』を語る資格はないと言わざるを得ないでしょう。

 

ニューヨーク・タイムズが語る『表現の自由』には「リベラル勢力が認定する」という “但し書き” が付くことになった

 ニューヨーク・タイムズが社内や読者などからの意見に屈した理由は「リベラル派に肩入れしすぎていたから」でしょう。その結果、反発に対する抵抗ができずに論説欄の編集長が職を追われる事態になりました。

 「仮定に基づく主張を掲げた寄稿であっても掲載対象になるが、誹謗中傷が含まれていると指摘があった(または編集部が判断した)場合は主張内容への説明を紙面で要求する」としていれば『言論の自由』を担保することはできたと考えられるからです。

 「ANTIFA が暴動や略奪を起こした事実はない」との “主張” による影響で編集権が左右されるなら、これは『表現の自由』は損なわれることと同じです。

 リベラル派による紙面は「リベラルが不快に感じる主張」や「リベラル派の教義に疑念を抱かせる論説」は掲載不可となるのですことが示されたのですから、『表現の自由』や『言論の自由』を NYT が今後は語る資格がないと言えるのではないでしょうか。