自民党が考える『教育国債』は “現行の奨学金制度” より悪いものだ

 大学においても教育無償化を訴える声に対応するため、自民党は『教育国債』の導入も検討に入れるプロジェクトチームを設置すると朝日新聞が報じています。

 国債の性質は「資金の前借り」であり、恩恵を受けるのは大学教員など一部の関係者に限定されることでしょう。なぜなら、現行の奨学金制度と同じ条件であり、“払い手” が学生自身から国民全体に変わっただけに過ぎないからです。

 

 自民党は授業料の免除など教育無償化に向けた具体策の検討を始める。総裁直轄の「教育再生実行本部」にプロジェクトチーム(PT)を設置し、必要な財源には使い道を無償化に限る「教育国債」の創設などについて議論する。

 PTの座長は馳浩前文部科学相。無償化の範囲は、就学前の幼児教育から大学などの高等教育まで幅広く検討する。財源としては、教育国債や、高額所得者への所得税率引き上げなどを想定している。

 

 そもそも、学生全員を無料で大学に進学できるようにしても意味のないことです。働き口が存在しなければ、21世紀の就職氷河期が訪れるだけであり、学費を無料にしたことによる意味がありません。

 最先端技術に携わる教員や学生が金銭的な不安を覚えることなく研究・開発が可能となる環境を整備することや、優秀な日本人学生の学費を免除する方に優先度を置く必要があると言えるでしょう。

 

 しかし、自民党が検討を考えているという『教育国債』は現行の奨学金制度(≒学生ローン)と変わらないものです。

 『国債』である以上、利率が設定されます。満期を迎えると利息分を付けて資金を返す義務が生じる訳ですから、“第2種奨学金” と同じ性質を有しているのです。

 日本育英会には利息のつかない “第1種奨学金” が存在します。しかし、『教育国債』に一本化されてしまうと、利息分を払う必要のない奨学金を得られる優秀な学生ほど現行制度より不利益を被ることになります。

 社会人として稼ぐ力を持っていれば、繰上げ返済をすることで「実質的に支払う学費の割引」という恩恵を受けることができるというメリットも消えることを意味します。

 また、国債は市場で取引されるため、利率が上下することも考慮に入れなければなりません。そうしたデメリットも考慮に言えれなければ、制度が改悪されたという結果が残ることになるでしょう。

 

 『教育国債』が導入された際に1番の問題となるのは返済責務が国民全体になることです。

  • 奨学金制度(現行)
    • +:利息ゼロの第1種奨学金がある
    • +:返済責務は学生個人が負う
    • ー:奨学金の返済能力を持たない学生が発生中
  • 『教育国債』(自民党が検討中)
    • ー:第1種奨学金が消滅する可能性
    • +/ー:返済責務は国民全体

 現行の奨学金制度では借りた学生本人(と連帯保証人)でした。つまり、返すアテのない学生は借りることすらできなかったのですが、奨学金を利用した学生には返済義務の当事者意識がありました。

 それが、『教育国債』が導入されると、学生は当事者意識を持たなくなるでしょう。なぜなら、返済責務を持つのは国民全体となり、当事者が見えにくくなるからです。

 

 これまでは「自分の借りた分の返済は終わった」という形だったのですが、「他の人が借りている分の返済は終わっていないので、引き続き返済に励んでください」と言われ続けることになるのです。

 現行ルールでは、「奨学金を借りたAさんとBさんは自身の返済は完了しましたが、Cさんは返済できずに “奨学金破産” になる」というケースが想定できます。これを『教育国債』を導入することで、Cさんの “奨学金破産” は防ぐことは可能です。

 しかし、Cさんが返済していない(もしくは、返済できない)分はAさんとBさんの稼ぎや奨学金を利用していないDさんやEさんの稼ぎから補填されることになるのです。

 

 「学業が優秀なのに、奨学金を得られなかった」というのであれば、現行の奨学金制度は見直されるべきでしょう。しかし、「大学に行きたいが、金がない」という主張に税金を費やすのは順序が違います。

 「大学に進学したいし、一般入試を突破できるだけの学力も持ち合わせている。しかし、家庭の事情で学費が払えず断念せざるを得ない」

 こうした理由を持つ学生のために、“第1種奨学金” が用意されており、現行の奨学金制度で大多数の学生が恩恵を受けていることでしょう。「大学に行きたい」というだけで学費を免除してしまえば、大学教育で生計を立てる人物を喜ばせるだけで全体としてはマイナスしか生み出さないことは明らかです。

 

 “第1種奨学金” を獲得できる学生が就職活動で困ることは少ないでしょう。なぜなら、日本育英会という「第三者が見て奨学金を出せる優秀な学生」であることが証明されている訳ですし、それが1つのセールスポイントとなるからです。

 高等教育に費やした分の学費を取り戻すことができない学生の数を現状より増やすことを隠すために『教育国債』というカムフラージュを用いることを後押しするメディアも同罪です。

 ただ、大学で「メディア論」などの講義が設置され、マスコミからの天下りポストが用意されると盲目的に「大学教育の無償化」を応援する論説を掲載することになるでしょう。学費を無料にしたところで大学教育の質が悪ければ、企業はそもそも学生を採用しないのです。

 大卒というブランドだけで通用する時代は終わったという前提で将来設計をする重要性があることを中学・高校というレベルから学生に教える必要があるのではないでしょうか。