『(バンクシーという)著名人の作品』との理由で公共物での落書きが容認されることは大きな問題

 NHK によりますと、覆面アーティストとして活動するバンクシーがロンドンの地下鉄に描いた作品が清掃員に消されるという事態が起きていたとのことです。

 「作品が消されたこと」を批判する論調はあるものの、作品は金になるとの事情があります。地下鉄への落書きは禁じられているのですから、著名人であることを理由に犯罪行為がお咎めなしになることは差別と言わざるを得ないでしょう。

 

 覆面アーティスト、バンクシーは14日、ロンドンの地下鉄の車内に描いた新たな作品をみずからのインスタグラムで公開していましたが、ロンドンの交通局はこれを数日前にすでに消していたことを明らかにしました。

 ロンドンの地下鉄では落書きが厳しく禁じられていて、イギリスメディアは交通局の清掃員がバンクシーの作品だとは気付かないまま消したと伝えています。

 

交通局の清掃員が「禁じられている落書きを消す」のは業務の1つ

 「なぜバンクシーの作品を消したのか」との問いに対する回答は「清掃員が通常業務を行ったから」です。

 ロンドンの地下鉄では落書きが禁じられているのですから、車両に落書きがあれば(内外に関係なく)消すのは当たり前です。落書きの消去を含む清掃作業を行うために清掃員は雇用されているのであり、担当者は自らの仕事をしたに過ぎません。

 したがって、“無許可の落書き” に対して所定の手順に則る形で “通常業務” を行った清掃員やロンドン交通局が責められる理由は何もないと言えるでしょう。

 

『バンクシーの落書き』だけが容認される訳にはいかない

 『バンクシーの作品』に理解を示す人が多いのですが、バンクシーの作品は「消されること」が前提です。例えるなら、『限定商法』です。

 つまり、消されて当然の場所にゲリラ的に落書きをし、実物はしばらくすると(行政などに)消されるから希少価値が生まれるというブランド戦略なのです。

 また、『作品』と見なされているものは「単なる落書き」です。したがって、“バンクシーの落書き” が器物損壊に問われないことはおかしいですし、落書きが罪に問われないことになれば財産権の侵害を受ける被害者が発生します。

 そのため、他者の所有物を損壊する落書きについては誰がやったことに対しても同じ基準で対処することを責務としなければなりません。

 

『バンクシーに憧れる下手な作者による落書き』を『作品』として容認できないなら、器物損壊として批判する必要がある

 要するに、『バンクシーの落書き』を『作品』や『芸術』として擁護するのであれば、“(バンクシーの評判に憧れる)下手くそな作者” による『落書き作品』も同様の基準で評価しなければならないのです。

 無名作家の場合によっては下品な落書きも擁護の対象に入れなければなりません。それができないなら、「単なる差別」になってしまうからです。

 他者の所有物を損壊するという行為は「財産権の侵害」です。それを容認するなら、あなたの持ち物がアーティストに破壊されても『芸術作品』として受け入れることを強いられることにもなるのです。

 その際の補償はないのですから、迷惑極まりない論調がうごめいていると言わざるを得ないでしょう。法的ルールを守る気も、補償をする気もない “アーティスト” をありがたがる意味はないと言えるのではないでしょうか。