吉田沙保里選手が取材にギャラを要求するのは当然だ

 吉田沙保里選手が取材に対してギャラを要求し、取材記者から不評を買っているとデイリー新潮が報じています。

 この報道そのものが、放漫なメディア体質そのものを現したものと言えるでしょう。吉田選手がギャラを要求するのは当然のことです。

 

 リオ五輪では、“霊長類最強”の吉田沙保里選手(33)が、史上初の選手団女性主将を務めることになった。彼女自身、4連覇達成への期待もかかっているが、実は、ここ最近、スポーツ紙記者の間で、評判を落としている。荒稼ぎ体質に変わり、「取材するなら3万円」とギャラを要求するようになったからだという。

 

 メディアは他人の時間を自らの利益のために割いてもらっている立場なのですから、相応分の対価を支払うことは当然のことです。

 「スポーツ報道にギャラは発生しない」というのは取材するメディア側の勝手な論理です。他者の自由を奪うという損害を生じさせておきながら、ノーギャラで済むのであれば、あまりにムシが良すぎる話です。

 

 メディアが選手本人に取材したい理由は現状ではノーギャラでコメントを取れるからでしょう。

 吉田選手のブログやツイッターに投稿された内容を報道で利用しようとすれば、商業利用となり、著作権に抵触する可能性があります。しかし、本人の口から発せられたコメントであれば、その心配はありません。

 テレビや新聞などメディアは高給取りな業界なのですから、取材対象にギャラを支払う余裕は十分に有しているはずです。払う気がないなら、アスリートは twitter などネットで自らのコメントをこまめに発信し続け、「続きはウェブで」と平然と述べるべきです。

 ちなみに、吉田選手側が要求したと言われているギャラですが、安い水準だと思われます。吉田選手が講演会を開催すれば、そのギャラは数百万円を超えると言えるでしょう。取材は言ってみれば、講演会後の質疑応答をしているようなものです。

 「講演会をセッティングしたから、ノーギャラで講演しろ」と吉田選手に要求するような人物はまずいないと思われます。ですが、メディアは「無料で我々のメシの種を提供すべき」と主張しているのですから、厚かましい守銭奴なのはメディア自身です。

 

 ノーギャラで済むから、アスリートなど取材対象への敬意が払われることがないのでしょう。これを機に悪しき風潮は終わりにすべきです。

 メディア向けに無料で対応するのは大会に出場した後にスポンサーのロゴが並ぶミックスゾーンで必要最小限の取材に応じれば済むことです。それ以上のプラスアルファを無料で対応する必要もなければ、義務もありません。

 テレビや新聞しか情報伝達手段は存在しないという思い込みが続く限り、既存メディアの凋落に歯止めがかかることはないのではないでしょうか。