日本のマスコミが『安田純平氏の擁護論』をなりふり構わず展開する理由とは

 シリアで武装勢力に拘束されていた安田純平氏が解放され、日本に帰国しました。

 安田氏本人が「自己責任」と主張し、渡航禁止地域に侵入したことで拘束されたのですから批判は免れないでしょう。しかし、その一方で日本のマスコミは『安田純平氏の擁護論』を徹底して流す有様です。

 その理由について考察することにしましょう。

 

“特ダネ記事” を独占的に使いたい思惑がある日本のマスコミ

 まず根底にあるのは日本のマスコミが「特ダネ記事を独占的に使用したい」という思惑を持っていることでしょう。

 この方針は “情報伝達ビジネス” を営む民間企業として、当然のことです。世間の目を引く記事を発信することは売り上げアップに直結することですし、売れるネタを求めることは自然なことだからです。

 しかし、マスコミが批判される原因となっているのは「情報の入手方法」です。

 『危険な地域の情報』を伝えることはジャーナリストの使命と言えるでしょう。ただ、日本のマスコミは “自らの責任” で現地取材をせず、他者にリスクを丸投げしているのです。

 外国メディアからニュース映像を購入した場合、自社で好き勝手に使うことはできません。ですが、フリージャーナリストなどに現地取材をアウトソーシングしてしまえば、自分たちはリスクを負うことなく取材成果を独占的に使うことが可能です。

 この体質が安田純平氏の拘束事件を引き起こした要因の1つになっていると言えるでしょう。

 

『雲仙普賢岳の噴火取材』で甚大な被害を生み出したマスコミは「自社の責任を徹底的に転嫁する」

 次に、マスコミが「危険地域への取材」を容認するのは『雲仙普賢岳の噴火取材』にスポットが当たることを回避したい思惑があるからでしょう。なぜなら、マスコミ取材で甚大な被害が生み出されたからです。

  • 1991年5月に雲仙普賢岳噴火し、メディアの取材合戦が勃発
  • 『避難勧告地域』での取材が常態化する
  • 報道関係者による『避難勧告地域』内での不法侵入や盗電が発覚
    → 住民が自衛のため『避難勧告地域』内に戻らざるを得なくなる
  • 1991年6月3日に大火砕流が発生
    • 報道関係者以外に消防団員やタクシー運転手などが亡くなる
    • 被害は『避難勧告地域』の内部で収まっていた

 安田氏がシリアで拘束された事件で、マスコミは「危険地域での取材は必要」と主張しています。しかし、日本のマスコミは「雲仙普賢岳の噴火取材で危険地域に入り、自社の社員や地域住民を死なせた過去」があるのです。

 そのため、大バッシングを浴びるリスクが高い『危険地域での現地取材』はアウトソーシングをしているのです。自社社員を使うと「責任」や「損害賠償」が問われますが、外部に委託すれば、その心配はありません。

 その一方でマスコミの “鉄砲玉” として活動をすることで、報酬を受け取るフリージャーナリストが存在しているのです。この持ちつ持たれつの関係を認識しておくことは重要だと言えるでしょう。

 

「フリージャーナリストの危険地域への取材」を “後押し” するマスコミの姿勢が問題

 日本のマスコミは「危険地域での取材を考えているフリージャーナリスト」を後押しすることでしょう。なぜなら、成功すれば、特ダネの素材が手に入るからです。

 仮に失敗しても、マスコミが被る痛手は微々たるものです。「取材映像などの成果物を買い取る」としておくことで、失敗した際の損失は最小限になります。また、“外部の人間” なのですから、無理筋な擁護論を展開しても世間から反感を買わずに済むからです。

 現状、日本のマスコミはフリージャーナリストを “鉄砲玉” として使っており、取材時の安全に配慮する様子はありません。

 AFP 通信(フランス)や BBC (イギリス)は「フリージャーナリストが “特ダネ” を求めて危険地域に立ち入ること」に歯止めをかける自主規制を設けています。この姿勢は日本のマスコミを見習う必要があると言えるでしょう。

 もちろん、フリージャーナリストも「自己責任」に基づき、『自らの仕事』を選んでいるのですから、取材行動には細心の注意を払わなければなりません。この点において、安田純平氏は取材時に “間違った行動・判断” をしたことは否定できません。

 そのため、安田氏がシリア取材を行った際の準備・判断は批判されて当然と言わざるを得ないのです。

 

 メディアは『現地取材』を絶対視していますが、重要なのは『報道の内容』です。北朝鮮の現地を取材したところで、「有益な情報であるか」は『報道の内容次第』であることは言うまでもないことでしょう。

 『内容』で勝負できないから、『現地取材』という一般人が “割に合わないこと” を神格化しようとしているのです。

 そして、大手のマスコミから “ジャーナリスト” としてチヤホヤされることで、名誉欲や承認欲求が満たされるフリージャーナリストを煽てて取材記録を安く買い取るという意味で、彼らを「英雄」として持ち上げているに過ぎないと言えるのではないでしょうか。