常岡浩介氏のイエメン取材が旅行返納命令という形で阻害されたことを “フリーライダー” 気質の抜けないフリー界隈が批判する

 日経新聞によりますと、イエメンを取材するために出国目前だった常岡浩介氏が外務省から旅券返納命令を受けたことで出国ができなくなったとのことです。

 フリージャーナリストらは政府の対応を批判し、一部のメディアは「議論を呼びそうだ」と書いていますが、これらの主張は政府にタダ乗りする “フリーライダー” のものです。自分の尻を自分で拭けない時点で「自己責任」とは言えないからです。

 

 内戦が続くイエメンを取材するため現地に渡航しようとしたフリージャーナリストの常岡浩介さん(49)が外務省から旅券返納命令を受け、出国を禁じられたことが4日、分かった。

 (中略)

 旅券法は、渡航先の法規で入国を認められない場合、返納を命じることができるとしている。返納命令書は2日付。常岡さんは1月にイエメン入りしようとした際、経由地のオマーンで入国を拒否され強制送還された。今回はスーダンを経由する予定だった。

 内戦が続くイエメンでの現地取材に日本政府が難色を示す理由は「安田純平氏の二の舞になる可能性が高いから」でしょう。

 「危険」と事前に警告を発しているにも関わらず、警告を無視して現地に入り、予想された危険に遭遇する恐れがあるのです。その結果、日本政府が救出などのために余計な予算を費やすことを強いられるのですから、旅券返納命令が出されるのは必然的と言えるでしょう。

 

人質となり、多額の身代金を要求された安田純平氏が政府の対応を批判

 常岡浩介氏に旅券返納命令が出されたことを対し、安田純平氏が「記者以外も出国できなくされるぞ」とのツイートをしています。

画像:安田純平氏のツイート

 ただ、このツイートは何の説得力もないでしょう。なぜなら、一般人も常岡氏に下された命令が出される可能性はあるからです。

 例えば、攻撃的な政治活動を行うことで知られるA氏がアメリカの法規により、アメリカ入国が認められなかったとしましょう。この場合、A氏がアメリカ以外の別の国への渡航を新たに計画していた場合、A氏に旅券返納命令が出ることが考えられます。

 これは多くの国で「外国人による政治活動」に制約が設けられているため、A氏を出国させると渡航先の国との間で政治問題が起きるリスクがあるからです。

 逆に言えば、“ノンポリ” の一般人が危険度の低い国に渡航することが阻害されることはありません。「止める理由」がない人を止めることはできないのです。この基本的な部分を無視した批判は的外れと言わざるを得ないでしょう。

 

安田純平氏のように人質となった際に、「自己責任」を貫いたフリージャーナリストはいない

 フリージャーナリストの界隈は「自己責任」を持ち出し、常岡氏に旅券返納命令を出した政府の対応を批判しています。

 しかし、これは “フリーライダー” の考えでしょう。自己責任とは「自分の尻は自分で拭くこと」が大原則です。渡航禁止と指定された地域に自己責任を掲げて自らの意志で入ったのであれば、日本政府に何らかの対応をさせた時点で自己責任を果たせていないことになるのです。

 人質となって「自衛隊の撤退」を要求されるなど論外です。また、「日本人が危険地域で武装勢力の人質となった」との一報が入った時点で、政府は事態把握に向けた情報収集をする必要が生じ、対応に当たる責務が発生します。

 つまり、人質事件が発生すれば対応費用も発生するのです。「ジャーナリストの自由を保証しろ」と主張するのであれば、「ジャーナリストが起こした諸問題の責任を自分たちで背負ってから言え」と反論されるとの認識を持つ必要があるでしょう。

 

『身代金や損害金などを支払うためのジャーナリスト基金』を設立・運営してから、自由を要求すべきだ

 批判を受ける “ジャーナリスト” に共通しているのは「自己責任と言いながら、安全対策すら十分にできていない」という点があります。その結果、紛争地で武装勢力に捕らえられ、身代金が要求される事態を招いているのです。

 本当に「自己責任」だと考えているなら、以下のどちらかを選択すべきでしょう。

  1. 身代金や損害金などを支払うためのジャーナリスト基金を設立
  2. 「危険地帯で拘束された場合、殺害されたとしても仕事の範疇」と宣言

 1つは『基金』を設立し、不測の事態に遭遇した際に解決に要する資金を拠出するというものです。「身代金の支払い」であったり、「対応に当たって費やされた政府予算分の弁済」をする資金があるなら、ジャーナリストの意向は尊重されるべきでしょう。

 しかし、実際にはそうした動きはなく、「ジャーナリストは自由に取材活動を行うが、それによって生じた損失は政府が “穴埋め” しろ」と要求しているのです。これほどの放漫さはないですし、世間の反感を買うに十分すぎる主張と言えるでしょう。

 「テロリストに屈してはならない。自らの意志で危険地域に取材で入った以上、殺害された瞬間がさらされることもジャーナリストとしての仕事の範疇だ」と宣言する勇気もないのですから、単なる姑息な卑怯者に過ぎません。

 

 タダ乗りをする “フリーライダー” が嫌われるのは当然のこと。日本政府からの旅券返納命令が煩わしいのであれば、日本国籍を離脱して、日本以外の国籍保有者として取材活動をすれば済むことです。

 雲仙普賢岳の火砕流ではマスコミが警告を無視して取材合戦を繰り広げたことで、亡くなる必要のなかった地元住民まで巻き添えになっているのです。「自己責任を掲げれば、自由な取材活動ができる」との考えそのものを見直すべきだと言えるのではないでしょうか。