インドとの原子力協定締結に反対する朝日新聞はあまりに盲目的すぎる

 朝日新聞は被爆国という “被害者カード” が葵の御紋とでも感じているのでしょう。

 来日中のモディ首相(インド)と安倍首相が原子力協定を締結したことに対し、「被爆国の立場を忘れたか」と批判する社説を12日付で掲載しています。ですが、かなり盲目的と言わざるを得ない主張になっています。

 

 政府がインドと原子力協定を結んだ。インドは核不拡散条約(NPT)に加盟しないまま核兵器を開発、保有している。そうした国との協定締結が誤りであるのに加え、その中身も疑問と懸念が尽きない。核実験をしない保証が不十分なまま原子力技術を供与する内容だからだ。

 インドは現在、核実験を「自主的に凍結」している。再開した場合の対応が焦点だったが、実験をしたら日本側が協定を破棄・停止できるとの肝心の内容は、協定本文ではなく関連文書への記載にとどまった。

 それどころか、核実験をした場合も、それが対立するパキスタンなどへの対抗措置かどうかなどを考慮することを意味する条文が盛り込まれた。

 

 ここで確認する必要があるのは、インドが核開発に踏み切った経緯です。防衛省防衛研究所が掲載しているレポート(PDF)には以下のように掲載されています。

 

  • 1947年:民生用原子力発電に注力
  • 1956年:アジア初の軽水炉(研究炉)が稼働
  • 1964年:国境問題を抱える中国が核実験を敢行
  • 1968年:核不拡散条約(NPT)が成立
  • 1971年:第3次印パ戦争
  • 1974年:インドが核実験「ボカランI」を敢行
  • 1987年:パキスタンが核開発を公言
    → 1985年頃に中国から核弾頭 “ブループリント” を入手済
  • 1988年:インド・ガンディー首相(当時)が核兵器開発を命令?
  • 1992年:中国が核不拡散条約(NPT)に署名
  • 1998年:インドが核実験を行い、パキスタンも呼応

 原子力の民間利用を目指していた国家(=インド)と国境問題を抱える隣国(=中国)が核実験に踏み切った。その脅威が自国に向けられた際の報復保証を既存の保有国(=アメリカやソ連)に求めたが、希望した返事は得られず。

 また、第3次印パ戦争に勝利したものの、核保有国からの圧力で自分たちが求める和平案を得ることができなかったという時代背景が存在します。

 味方になってくれる国が存在しないなら、「自分たちで戦う」か「相手国の言いなりになる」かの2択です。インドがイギリスから独立したのは1947年のこと。つまり、後者の選択肢は存在しないという現実を見落としてはなりません。

 

 パキスタンはインドに対抗するために核開発を行っていますが、ノウハウを伝授したのは中国です。地域覇権を狙う目的は現状では見せていないのですが、“闇ルート” の中心地となっており、北朝鮮やイランの核開発への関与が指摘されています。

 当然、インドに向けた先制攻撃や核兵器開発という形で恫喝する可能性は否定できないため、「報復行為すら認めない」という制約は非現実的です。

 核弾頭となるウランにせよ、プルトニウムにせよ、兵器用として利用できる水準にまで濃縮しなければ、核兵器として利用はできません。原子力発電所で利用される程度の濃度では兵器転用することは不可能なのです。

 それに、兵器転用する動きが確定的になった段階で原子力協定をストップし、燃料棒をインドから回収すれば済む話ですから、それほどナーバスになる必要もありません。

 

 原子力発電によって作り出される量は正確な値が計算できるのですから、消費電力量の推計との間に誤差が生じていれば、“隠し施設で濃縮作業が行われている可能性” に気づくことができるでしょう。

 原発施設内で堂々と濃縮していないかはIAEAが検査をすれば済みます。「原発で作り出されるプルトニウムの濃度でも核兵器は作れる理論がある」と主張する人はいますが、実証された主張内容なのでしょうか。

 実証されていなければ、STAP細胞と同じです。慢性的な電力不足に見舞われているインドの社会インフラ水準を押し上げる力のある原子力発電を否定するのであれば、インド国民に受け入れられる代替プランを提案する責務が “被爆国を語る人々” にはあるのではないでしょうか。