リベラルが敗けたのではない、リベラルを名乗る差別主義者が敗けたのだ

 「差別主義者のトランプに、リベラルの支援を受けるヒラリー・クリントンが敗けるはずがない」と思っていた人々にとってはショックな出来事だったことでしょう。

 アメリカ大統領選で、メディアの事前予想に反し、トランプ氏が勝利したのです。これを「リベラルの敗け」と見るべきではありません。なぜなら、敗けたのは “リベラルと名乗る差別主義者” だからです。

 

1:リベラルが主張する「多様性」はどこへ?

 リベラルの代名詞的な主張となっているのは「多様性」です。人種の多様性が認めるなら、価値観の多様性も認めることでしょう。

 しかし、「 “トランプ氏を支持する” という価値観は一切認めない」というスタンスを打ち出していることが実態です。

 多様性が認められないのであれば、それはリベラルではありません。意見の多様性を容認し、複数の選択肢から選ばれた結果を尊重する。これがリベラル本来の姿勢であるべきです。

 ところが、“下品な言葉” で罵倒したり、差別主義者とレッテル貼ることで攻撃しているのですから、クリントン候補へ投票を棄権する有権者も現れたことでしょう。つまり、自称・リベラルはトランプ候補のアシストをしてしまっていたのです。

 

2:ポリティカル・コレクトネスを『21世紀版アパルトヘイト』として使ったリベラル界隈

 ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)は「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別は是正すべき」という考えです。この考えの理念そのものは共感されるものでしょう。

 

 しかし、ポリコレを声高に叫び続けたリベラルの主張は次のようなものでした。

  • ポリコレを遵守できない者は人間ではない
    • トランプはポリコレに反している
      → その支持者も人間とは見なさない
    • ポリコレに反する者に人権は認められない
      → 彼らにリベラルが何をしても問題ない
  • リベラルが掲げたポリコレ以外の価値観は認めない

 イスラム原理主義者によるコーランの解釈に基づくイスラム社会とやっていることは同じです。“リベラルという聖職者” が解釈した “ポリコレという教典” を絶対神聖視し、賛同の意を示せと要求しているのです。

 言い換えれば、21世紀版のアパルトヘイトと言えるでしょう。制度を作った有識者が都合よくルールを後付けし、周囲に追認しなければ社会的に抹殺すると恫喝しているのです。反発を招かない方が不思議なことです。

 

3:選挙では少数派であることを忘れたインテリ・リベラル

 生活にゆとりのあるインテリ層には社会情勢の変化に気づかなかったのでしょう。現代はインテリが提示したプランを誰もが素直に聞き入れる時代ではなくなったのです。

 1970年代頃では大学への進学率も高くなく、インテリであることは尊敬の対象であり、高度な知識が含まれた意見は(結果的にも)正しいと言えるものが多くありました。しかし、大学進学が一般的になり、情報化社会になったことで、知識の価値が低下することになりました。

 これは有権者の多くを占める労働者階級の知的水準が大幅に向上したことを意味します。彼らを支持基盤としていた政党がインテリ・リベラル寄りの政策を強めれば、得票数が減少することは当然です。

 労働者の1票も、インテリ・リベラルの1票も同じ1票の価値を持つのです。「労働者の待遇より、移民・難民を手厚くしよう」とリベラルが主張すれば、有権者が離反するという当たり前のことを軽視していたツケを払う羽目になったと言えるでしょう。

 

 今回のアメリカ大統領選は野村克也氏が述べた平戸藩主・松浦静山の言葉が当てはまるのではないでしょうか。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

 自分たちが選挙制度で少数派である現実を忘れ、ポリティカルコレクトネスという自分勝手な定義で異なる意見を主張する人々を攻撃してきました。このような “独裁” を許すことは民主主義の価値観に反するとしてNOを突きつけられたのです。

 リベラルとしての価値観は保守強硬派でも認めるものでしょう。相手の価値観を認めれば、それはリベラルが訴える多様性を容認していることになるのですから。

 しかし、リベラルを名乗る差別主義者は “自分勝手な定義” を作り、本来のリベラル像とはかけ離れた存在でした。これでは敗けて当然です。

 

 インテリ・リベラルはなぜ自分たち主張が有権者の過半数にすら受け入れられなかったことを自問自答しなければなりません。あなたたちが無謬の存在ではないことは今回の選挙で示されたのです。

 「トランプに投票した有権者はバカ」とインテリが主張しても何の説得力も持たないからです。

 なぜ、民主党の牙城である “ラストベルト” で、労働者がトランプ候補を押し上げたのでしょう。彼らの生活を苦しくし、向上させる術もなく、対策も打ち出せなかったインテリが知的ではないことは既に証明済みだからです。

 “リベラルと名乗る差別主義者” は政治の表舞台から退場していただかなければなりません。なぜなら、リベラルを足を引っ張り、反リベラルのアシストをする存在だからに他なりません。無能な仲間ほど厄介な存在はいないことをリベラルは自覚する必要があると言えるのではないでしょうか。