「災害被災者が要支援者の避難・救助を無償でやる」という設定がおかしいことを指摘できない朝日新聞

 朝日新聞の島脇健史記者が「要支援者の避難計画、策定1割満たず」と題する記事を書き、災害時に要支援者を避難・救助するための人材不足を指摘しています。

 これは当然のことでしょう。なぜなら、「災害時に要支援者となる人物」を避難・救助するための人物も災害による被害者である可能性が高いからです。自分や家族のことを投げ打ってまで、“他人の要支援者” のためにリスクを取るには割に合わないと言えるからです。

 

 災害に備え、要支援者の避難方法をあらかじめ決めておく個別計画づくりが遅れている。全国の都道府県が把握する市区町村の策定率(2016年4月~17年11月)を朝日新聞がまとめたところ、要支援者約714万人に対し、計画があるのは約9・3%の約67万人だった。背景には高齢化や人間関係の希薄化などで協力する人が見つからない実情があるとみられる。

 国は市区町村に要支援者の個別計画策定を求めている。都道府県別の策定率は最も高かったのが新潟県の33・2%(16年4月時点)で、最少は沖縄県の0・3%(同)だった。

 (中略)

 同志社大の立木茂雄教授(福祉防災学)は「民生委員1人が何人も助けるような計画は実効性がない。要支援者の名簿を地域に渡すだけでなく、社会福祉協議会の専門職『コミュニティソーシャルワーカー』など地域と要支援者の間をつなぐ役割の人を置き、きめ細かく配慮することが必要」と指摘する。

 

 

1:災害発生時に家族より業務を優先するのが公務員である

 災害発生時に自らの家族より、業務を優先する人々はいます。その代表格が警察・消防・自衛隊など公務員です。

 災害による被害が収束まで、最前線で対応に当たる公務員は24時間体制となるです。そのため、公務員の給与が民間水準よりも高めに設定されていることは当然と言えるでしょう。

 なぜなら、ほとんどの公務員は緊急時に自分や家族よりも、業務を優先することを義務づけされているからです。

 災害の兆候を入手できる立場にある公務員が情報発信よりも、自分や家族の安全を優先して避難を優先すれば住民に大きな損害が発生します。そうした問題を防ぐために高給による “縛り” を設けているのです。

 

2:災害対応で公務員が出払った状態で、要支援者を誰が無償で手を差し伸べるのか

 自らも災害被災者となっている可能性がある中で、無償で要支援者を助ける奇特な人はほとんどいないでしょう。なぜなら、割に合わない仕事だからです。

 見返りはゼロですし、支援や救助に向かう途中に2次災害に遭遇する危険性があります。また、支援中や救助中に要救助者に万が一のことが起きれば、訴訟沙汰にもなることが考えられます。

 労働力はタダではないのです。「地域で支え合う」というのは “キレイゴト” に過ぎないとシビアに考えておかなければなりません。

 要支援者の日々の生活は「現役世代が納めた税金」から『補助金』という形で成り立っているのです。それに加え、「災害時は無償で要支援者に手を差し伸べるべき」と要求しているのです。遅かれ早かれ、不満が爆発することでしょう。

 

3:報道関係者が要支援者に手を差し伸べるべきだ

 “ムラ” の人間関係が息苦しいとの理由で都会へ流れる若者層がいるのです。そのため、人間関係が希薄化することは当然でしょう。

 「困った時はお互い様」という概念が時代遅れになっているのです。年金・医療費などの社会保険料で若者を始めとする現役世代は今が “困っている時” なのですが、資産を持つ高齢層は手を差し伸べていません

 つまり、「お互い様」ではなく、「搾取」が行われている状況なのです。

 したがって、現役世代が災害時に要支援者のためにタダ働きすることに難色を示すのは当然の成り行きと言えるでしょう。それを批判するのであれば、報道関係者が要支援者のために汗をかけば良いのです。

 救助に当たる “感動的なシーン” を独占的に入手できますし、十八番の災害報道ができるメリットがあるのです。また、全国に記者がいるのですから、「人間関係の希薄化」などと言った下らない理由で手を差し伸べることを拒否するようなことはないはずです。

 

 無償で地域のために骨を折ってくれる人は年々少なくなっています。「金銭的に余裕のあるところから税金を取って福祉に回すべき」との主張を政策として実現してきたのですから、手を差し伸べる余裕のある人はいなくなって当然なのです。

 行き過ぎた社会保障によるツケを払うことはこれからが本番と言えるのではないでしょうか。