トルコ空港テロ、主導者に自由を与えたのは欧州人権裁判所

 トルコ・イスタンブールのアタチュルク国際空港で発生した事件で、ロシア南部チェチェン共和国出身の人物が主導したと報じられています。

 問題は “曰く付きの人物” がロシア当局に送還されることを欧州が圧力をかけ、自由を与えてことが今回のテロ事件を引き起こす要因となった可能性があることです。

 

 トルコ・イスタンブールの国際空港で起きたテロ事件は、ロシア南部チェチェン共和国出身のイスラム過激派幹部が主導した疑いが浮上した。幹部は「イスラム国」(IS)にも加わっていたという。

 トルコ政府によると、3人の実行犯の国籍はロシア、ウズベキスタン、キルギスの旧ソ連諸国。ノーボスチ通信などは、彼らを背後で指揮したのは、チェチェン出身のアフメト・チャタエフ容疑者だと報じた。

 

 ロシアのメディアは主導者をチェチェン出身の「アフメト・チャタエフ」と名指ししています。北カフカスに位置するチェチェンはイスラム教徒が多く、独立紛争をロシアと行った経緯があるなど、“危険地帯” に該当します。

 また、チェチェン武装組織はモスクワでのテロを計画・実行するなど、過激派としての行動を続けている実態が存在します。

 当然、ロシア当局は過激派の取り締まりに乗り出しますし、チャタエフも2003年から国際手配をされているという状況でした。

 

 ところが、2010年にチャタエフがロシアに身柄が引き渡されそうになる事態が発生します。しかし、それを阻止するために圧力をかけた組織があったのです。

 2010年1月14日、欧州人権裁判所はウクライナ当局に対し、追加通知があるまでチェチェン人アフメト・チャタエフをロシアに引き渡さないよう通知する。アフメト・チャタエフはオーストリアで難民としての地位が付与されており、彼が1月3日に逮捕された時、有効なビザでウクライナを訪問していた。

 アムネスティ・インターナショナルは彼がロシアに戻された場合、不公平な裁判に直面したり、拷問や虐待にさらされるリスクがあると考えている。

 当時のウクライナは2005年に起きたオレンジ革命の勢いが急減速し始めていた時期であり、親EU派と親ロシア派の勢力が拮抗している状態でした。

 「身柄をロシアに引き渡すな」という “圧力” をEU寄りの政権(当時)が受け、西側の意向をそのまま反映させたのでしょう。その結果として、チェチェン紛争に深く携わっていたことが否定できない過激派を野に放つことになったのです。

 

 “難民” として受け入れた人物がテロの首謀者だった疑いが濃厚なのですから、与える影響は大きくなることでしょう。

 過激派が自称・難民としてヨーロッパに入り込んでいる可能性は否定できませんし、リベラル派は認定基準を厳格に運用することに積極的な姿勢を見せることはありません。厳しい態度で望むことが求められることになります。

 テロの元凶とも言える人物を野放しにしていた事実が揺るぎないものとなれば、トルコからEUに対する批判は一層強まることになるでしょう。また、ロシアも同様に手ぐすねを引いて待っているはずです。

 「自分たちに落ち度はない」と開き直ることはできないだけにEUは根本的な対応を見直さなければなりません。EU加盟国が安易に身元保証を行わないことが最低限のマナーと言えるのではないでしょうか。