“立ち技からの一本” にこだわる柔道 vs “勝利” を優先するJUDO

 リオ五輪、柔道男子90キロ級で金メダルを獲得したベイカー茉秋選手の柔道スタイルに対し、一部から批判の声が出ています。

 その理由のほとんどが決勝戦でポイントリード奪った後、ポイントを守りに入ったことによるものだと思われますが、競技者本人が下した決断は尊重されなければなりません。

 

 日本の柔道界は「立ち技で投げによる一本」を狙う姿勢を見せる選手を称賛する傾向にあります。この傾向は柔道ファンやメディアも同じと言えますし、日本国内では多数派だと思われます。

 ですが、世界では圧倒的な少数派なのです。

 

 世界で行われているJUDOで優先されることは「勝利」であり、「立ち技で投げによる一本」は勝利という目的を達成するための手段の1つと位置づけられているのです。

 国際大会の舞台では『柔道 vs JUDO』の組み合わせも発生します。その際、「何を優先事項に置くのか」ということは選手本人が決めることです。また、メディアも自分たちの価値観を事前に表明しておき、その基準に従い、選手たちの戦いぶりを評価するべきと言えるでしょう。

 

 圧倒的な実力差が存在すれば、「立ち技で投げによる一本」を狙う “柔道の理想像” を体現し、勝利することは可能です。しかし、映像などを利用した分析が進んだ現代の環境では選手間の実力差は狭まっており、戦術面をおろそかにすると足元をすくわれる事態が発生することがあることも事実です。

 例えば、大相撲で番付が最上位の横綱に対し、真っ向勝負に挑む関取は少数派でしょう。「格上の力士に対し、勝つためにはどうするか」と策を練ることは当然のことです。

 また、横綱もワンパターンの攻め方ばかりをする訳ではありません。圧倒的な大横綱は代名詞のような攻め方で勝負を決めることができますが、これは例外中の例外であり、ほとんどの場合は相手の狙いを読み、自分が有利となる状況を作り出すことで勝負を決めています。

 つまり、勝負に徹することよりも、自分の型にはめ込むことを優先するのであれば、良い結果を得られる可能性があるのは本当に一握りの選手だけということになってしまうのです。

 

 「立ち技からの投げによるオール一本勝ちで金メダル」というシナリオはベストであり、理想的です。しかし、現実には難しいことであることは明らかです。

 相手にポイントでリードされるケースもあれば、攻め込んだ際に返し技で相手にポイントを奪われるケースも出てくるでしょう。5分という試合時間が終了した際に「ポイントがどうなっているか」を考えるのは必要なことなのです。

 ベイカー茉秋選手が持つと言われている価値観は2008年の北京五輪・男子100キロ超級で金メダルを獲得した石井慧選手と似ていると言えるでしょう。両者とも勝利を最優先事項と定め、準決勝までは一本勝ちで勝ち進んだからです。

 消極的な姿勢で逃げ切ろうとしても、そのために必要な体力や組手の巧さなどの守備力を欠かすことはできません。JUDO型に問題があると言うなら、柔道の戦い方で圧倒すれば済む話です。そうすれば、JUDO型の選手は駆逐されることになるでしょう。

 空手のように “型” という競技が存在しない訳ですから、勝負に徹する選手が出てくることは自然なことです。勝利に近いスタイルは柔道ではなく、JUDOだと考える選手・指導者が世界では多数派である。それだけのことであると言えるのではないでしょうか。