スピードスケート・マススタートの基本的な戦略と戦術
スピードスケートのマススタートで高木菜那選手がオリンピック・初代女王に輝きました。そのため、次回以降のオリンピックでもメディアが注目の競技となるでしょう。
マススタートの競技や性質は「自転車ロードレースのポイント賞争い」と同じです。したがって、今後はヨーロッパ勢が自転車競技のノウハウを移植するというトレンドが起きることが予想されます。
スピードスケート・マススタートの順位決定方法
マススタートはコースを16周し、ゴールおよび中間スプリント地点に設定されたポイント数の合計を争う競技です。なお、ポイント配分は以下のとおりです。
- ゴール(16周目)
- 1着:60ポイント
- 2着:40ポイント
- 3着:20ポイント
- 中間スプリント(4周目、8周目、12周目)
- 1位通過:5ポイント
- 2位通過:3ポイント
- 3位通過:1ポイント
「中間スプリント地点をすべて1位通過しても、メダルは獲得できない」という特筆事項があります。これはゴールの先着した3名がそのまま金・銀・銅となるように分かりやすくしているためでしょう。
ちなみに、獲得ポイント数で並んだ選手がいる場合はゴールタイムで順位を付ける方式となっています。
戦略と戦術
マススタートの戦略は予選と決勝で大きく異なります。予選は「体力を温存し、決勝進出を決めること」が目的となり、決勝は「ゴールに先着すること」が最優先となるからです。
予選での戦略と戦術
1:「予選における最高の戦略」は高木菜那選手の走り
オリンピックは「決勝は16選手で争われる」という方式であり、予選となった準決勝では上位8選手が決勝の切符を手にすることができる状況でした。
高木菜那選手は最初の中間スプリント地点(=4周目)を1位で通過。その後は集団の中で待機する戦略を採りました。これが「最高の戦略」と言える理由は獲得ポイントの配分にあります。
- 選手A:ゴール1位(60ポイント)
- 選手B:ゴール2位(40ポイント)
- 選手C:ゴール3位(40ポイント)
- 選手D:中間スプリント地点で2位通過を2回(6ポイント)
- 選手E:中間スプリント地点で1位通過を1回(5ポイント)
- 選手F:中間スプリント地点で1位通過を1回(5ポイント)
- 選手G:中間スプリント地点で1位通過を1回(5ポイント)
- 選手H:中間スプリント地点で2位通過を1回、3位通過を2回(5ポイント)
「5ポイントを手にしていれば、8位以内は確定する」のです。そのため、最初の中間スプリント地点で5ポイントを手にし、体力が温存できた高木菜那選手の動きは最高のものだったと言えるでしょう。
2:佐藤綾乃選手は不運
2組目に登場した佐藤綾乃選手は不運としか言えない内容で敗退となりました。
第2中間スプリント地点で5ポイントを狙い、3選手(カナダ、日本、オランダ)で抜け出したものの先頭のカナダ人選手が転倒。巻き込まれる形で佐藤選手も転倒し、途中棄権となってしまいました。
実力が劣っていた訳ではないだけに、残念な結果だったと言えるでしょう。
決勝での戦略と戦術
決勝はゴールでの着順がすべてです。そのため、採ることができる戦略が予選とは全く別物になります。決勝で使われる戦略は次のものでしょう。
- 序盤からの大逃げ
- 第3中間スプリント地点を過ぎてからのスパート
- 最終周回でのスプリント勝負
3つに大別できる戦略が決勝では入り乱れることになるのです。「大逃げの戦略」で金メダルを取ることは難しいのですが、戦術次第では可能であることは知っておくべきです。
1:序盤からの大逃げ
「序盤からの大逃げ」は自転車ロードレースでは定番で、「宝くじを買う」と表現されています。「滅多に当たらない(=勝てない)」との意味ですが、集団が追いつけずにそのまま逃げ切ってしまうというケースは実際に起きています。
女子マススタートではアルサル選手(エストニア)が大逃げで勝負に出ましたが、第3中間スプリント地点付近で集団に吸収されています。
集団が逃げを容認するのであれば、逃げている選手もスピードを意図的に落として体力の温存を図らなければなりません。そうすることで集団が追い始めた時に持っている “貯金” を切り崩して、逃げ切れる可能性が高まるからです。
2:第3中間スプリント地点を過ぎてからのスパート
チームパシュートでメダルを狙える国はこの戦略を決勝で使うことでしょう。なぜなら、決勝では「最大で1国2選手」という形になる可能性があるからです。
2選手が同時に走るなら、戦略に幅が広がります。パシュートのように連携して逃げることも可能ですし、実力が明らかに劣る選手は牽引役としてエースの体力消耗を抑えるために動くことができるからです。
女子マススタートでは日本・韓国・オランダ・アメリカがこの戦略を採ろうとしましたが、日本と韓国は決勝に1選手しか送り込めずに頓挫。戦略変更を余儀なくされました。
結果的に決勝で実行できたのはアメリカチームのみ。アメリカは第3中間スプリント地点を過ぎるとマンガネッロ選手が牽引を開始。先頭集団を7人にまで絞った状態でエースのベルフスマ選手に全てを託しました。
結果は伴わなかったものの、今後はこうした戦術的な動きが精錬されて行くことでしょう。
3:最終周回でのスプリント勝負
決勝に2選手を送り込めなかった国は「最終周回でのスプリント勝負」にメダルを賭けることになります。日本・韓国・オランダは当初のプランとは異なるこの立場に追い込まれていたと言えるでしょう。
メダルを争った3選手はポジショニングが明暗を分ける形となりました。
- 高木菜那選手:シャウテン選手の背後(2番手)で最終コーナーに侵入
- キム・ボルム選手:高木選手の背後(3番手)で最終コーナーを迎える
- シャウテン選手:残り500mからスパートも、最終コーナーの出口で膨らみ、高木選手とキム選手に先行を許す
マンガネッロ選手(アメリカ)の牽引が終わった直後、2番手に付けていたシャウテン選手(オランダ)がスパート。最終コーナーの入口までは良い形だったのですが、出口で膨らんだことで逆転を許すこととなりました。
ショートトラックとは異なり、マススタートでは直線区間でインから追い抜くことは(物理的に)不可能です。そのため、シャウテン選手はインを閉めたままで先頭を維持し、残り300mを切ったところから加速していれば、金メダルを獲得できた可能性が高かったと言えるでしょう。
マススタートは入念な戦略を用意し、状況に応じた戦術を繰り出すことができる競技です。そのため、大番狂わせが起きる可能性がありますので “絶対的な力を持った選手” でも足をすくわれる可能性があります。
出場する選手の強さに応じた柔軟な戦略を用意するとともに、状況に応じた戦術を繰り出せる選手の育成が重要になると言えるのではないでしょうか。