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「相対的貧困への支援」を政府に求める勢力は税金のおこぼれを狙う寄生虫と同じ

 NHKが報じた “貧困女子高生” の問題に対し、「批判が出る方がおかしい」との主張が出ています。

 それらの主張には『相対的貧困』という定義が用いられている傾向があります。しかし、NHKが報じた問題を “相対的貧困” という理由で擁護する勢力は国の税金を効率的に貪り食べそうとする寄生虫と同じと言えるでしょう。

 

 なぜなら、『相対的貧困』の問題は永遠に解決できないからです。例えば、次に例示する年収のどのラインが『相対的貧困』に該当するかを示すことができるでしょうか。

  • 年収1億円超
  • 年収1千万円超(テレビ・新聞業界の平均水準)
  • 年収500〜600万円
  • 生活保護受給世帯

 『相対的貧困』の線引きはできないことでしょう。その理由は『相対的貧困』はゴールポストを動かすことができるからです。

 

 要するに、特定人物の主観で貧困の定義を自由に変更できてしまうのです。仮に年収が1億円を超えていたとしても、世界屈指の大富豪であるビル・ゲイツ氏や孫正義氏といった人々を基準にすれば、『相対的貧困』と定義されることになります。

 また、「平均所得に満たない世帯は『相対的貧困』である」という意見は正しいように見えますが、この定義で貧困問題に取り組むと、所得の差がない共産主義を導入しない限り、問題は解決されないことを意味しているのです。

 

 逆に、貧困ビジネスに携わっている組織・団体からすれば、『相対的貧困』の解決に公的支援を引き出すことができれば、将来の活動資金に困ることはありません。なぜなら、資本主義社会で所得に差が生じるため、『相対的貧困』という立場が消え去ることはないからです。

 こうした不届きな勢力に向けられた批判に対し、「貧困バッシングが行われている」と見当違いな反論をしていることが実態です。

 貧困バッシングが行われているように見えるのは、貧困ビジネスを行っている組織・団体に向けられた批判の矢面に貧困層を立たせているからであり、“角度を付けた” 主張の1つと言えるでしょう。

 貧困問題を解決したいのであれば、公的支援の拡充を求めるだけでは不十分です。特に、自称・リベラルの次なる活動テーマに置いていると思われる「相対的貧困問題」はそれが顕著に現れることになります。

 

 『貧困』という言葉を聞き、真っ先にイメージするのは生活保護を受給している家庭に代表される『絶対的貧困』という立場にある人々でしょう。

 『絶対的貧困』と『相対的貧困』には違いがあります。それは『相対的貧困』に位置する人々の方が自由に使うことができる資金があるという点です。

 つまり、『相対的貧困』という立場にいる人々への支援策は公的支援の拡充よりも、適切な資金の使い方をアドバイスするファイナンシャル・プランナー(FP)が行っている役割を提供することなのです。

 メディアで貧困問題が取り上げられるようになりましたが、“貧困層の代表” として紹介された人々の中で過去2、3ヶ月分の家計簿を公開した人々がいたでしょうか。貧困の実態を明確にするには家計の収支をオープンにすることが最も効果的であるはずです。

 しかし、メディアを通して「貧困問題」を訴える人々は貧困家庭の実態を明確に示す家計簿の公開を拒む一方、支援策の拡充を声高に訴えているのです。

 

 ある程度のまとまった資金が必要となるなら、家計の支出に優先順位を付け、適切なやりくりをしているはずです。『相対的貧困』と定義される位置づけであっても、国公立校の学費は捻出できるでしょう。

 「あこがれの芸能人と同じファッションをしたい」、「好きな映画を何度も見に行きたい」などという欲望をすべて満たそうとすると、どこかのタイミングで必ず資金不足に陥ることとなります。こうした現実を『相対的貧困』という言葉で都合よく隠そうとするから、批判が起きることになるのです。

 高給取りのメディアが『相対的貧困』という言葉を持ち出した時点で貧困問題の本質的な解決は遠のいたと言えるでしょう。なぜなら、メディアの視点で言えば、多くの人々が『相対的貧困』に位置することになるからです。

 特に、軽減税率の適用を声高に訴えておきながら、『相対的貧困』を問題視するのはご都合主義に他なりません。“勝ち組” が煽る『相対的貧困』の問題に世間一般から大きな批判が起きることは当然と言えるのではないでしょうか。