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南海電鉄は「スーツケース1つにつき、持ち込み代500円」を設定すべきだ

社会

 大阪南部を沿線とする南海電鉄で不適切な車内アナウンスがあったと朝日新聞が伝えています。

 車内アナウンスの内容を批判することより、そのような放送が流された理由に目を向ける必要があるでしょう。なぜなら、根本的な部分を解決できなければ、問題が深刻化する恐れがあるからです。

 

 放送があったのは10日午前11時半ごろ、難波発関西空港行き空港急行列車が天下茶屋駅(大阪市)を出発した直後。車掌は「難波駅を出発する前、『外国人が多くて邪魔』という男性客の大声を聞き、トラブルを避けるために放送した。外国人を差別する意図はなかった」と話しているという。

 

 問題の発端は走行中の電車内で車掌が聞き取れるぐらいの声の大きさで「外人が多すぎて、邪魔」という怒鳴り声が聞こえたことです。

 これに対し、「日本人のお客様にご不便をおかけいたします。多数の外国人のお客様が乗車しており、しばらくの間、ご辛抱願います」とアナウンスがあったのです。

 反差別を訴える界隈は “アナウンスの内容” を問題にしていますが、スーツケースを通勤用車両に持ち込み、車両内の移動の妨げとなっている外国人の振る舞いを「沿線住民に我慢しろ」とでも主張するのでしょうか。

 

 ツイッターユーザーからも、関西空港を利用する(と思われる)旅行客が持ち込んだスーツケースで混雑していることに不満の声が出ています。

画像:関西空港駅行きの南海電鉄の様子

 「観光立国を目指すなら、おもてなしの心を持つべき」などと主張する人もいますが、沿線住民にとっては関係のない話です。道頓堀で外国人観光客が利用している観光バスが渋滞を引き起こす原因になっていた問題もありましたが、その点についても「地元の日本人が我慢しろ」というのでしょうか。

 日常的に利用する鉄道の車両がスーツケースで移動もままならない状況であれば、邪魔と感じる人が出てきて当然です。また、「邪魔や!」と旅行客に詰め寄る人も出てくるでしょう。

 

 しかし、ネット上で “反差別” を勇ましく叫ぶ人々は大阪で「邪魔や!」と不満を溜め込んでいる沿線住民に「差別は許さない」という主張をする勇気は持ち合わせていないようです。

 それはそうでしょう。そんなことを口にすれば、「デカい荷物持って、マナーのないヤツに注意するのが先やろ!」と凄まれ、周囲から「そうや!そうや!」と味方になってくれる人が見込めないからです。

 地元の沿線住民に負担を押し付けるなど “観光立国” としては明らかに失敗です。先進国ではなく、途上国の観光立国が目指すべきモデルなのでしょうか。

 南海電鉄も会社として沿線住民が不満を溜め込まないよう対策を講じる必要があります。そのための有効策がスーツケースを持ち込む乗客から手荷物料金を追加徴収することです。

 

 「南海本線に限り、スーツケース1つにつき500円」を手荷物料金として設定するのです。スーツケースと見なされるのは “LCCで持ち込みが認められているサイズ(高さ56cm/横幅36cm/奥行き23cm)を超過した荷物” と定義しておくと良いでしょう。

 手荷物料金を設定する理由は「乗車スペースを荷物で占有することになるから」とアナウンスしておけば、「差別だ」などと言いがかりを付けられることはありません。また、沿線住民にも「スペースを手荷物料金という形で購入しているので、ご理解ください」と説明できます。

 例外規定としては、定期券を保有する学生がクラブ活動など学校で利用するために大きな荷物を運ぶ場合は手荷物料金を徴収しないとしておくことで十分でしょう。

 運用形態は「チケットを事前に購入させる日本方式」でも良いですし、「自己申告制+罰金制が一般的な外国方式」のどちらで行うかを決める必要があります。

 ただ、外国で見られる「自己申告+罰金制」は帰国間際の外国人観光客は罰金を踏み倒すリスクがあるため、乗車前に手荷物料金を徴収する日本方式を徹底することが望ましいと言えるでしょう。

 

 「大阪で差別を許さない」と主張する某地域政党は地元沿線住民が見ている状況を確認した上で対応策を講じる必要があるでしょう。

 少なくとも、外国人観光客など空港利用客のスーツケースが車両を占拠し、大声で騒ぐなどマナーがないことを容認する理由はないはずです。外国人観光客に対するマナー啓蒙活動すら行わず、迷惑な振る舞いを批判する地元民の声を差別だなどと主張することほど滑稽なものはありません。

 沖縄では「地元住民の意向を尊重せよ」と主張している反差別派が多いはずです。それと同じロジックを南海電鉄の沿線住民にも適応すべきでしょう。

 外国人観光客の狼藉に怒りを覚えている地元住民の意見に耳を傾け、寄り添い、彼らの生活を最優先にした政策を国や地方自治体に求めてくれることでしょう。それができないのであれば、反差別などと人権派ぶらないことです。

 “反差別活動家たちが気分を害さない社会” を理想とするのは間違いであると言えるのではないでしょうか。