政治的な混乱の続くベネズエラで大停電による多数の死者が発生、電力インフラの重要度が浮き彫りに

 NHK によりますと、混乱が続くベネズエラで大規模な停電が発生して多くの死者が出ているとのことです。

 インフラ機能が麻痺すれば、弱者から影響が出ます。電力不足に陥れば、病院機能を始めとする公共インフラも直接的なダメージを被るのですから、電力の供給体制を軽視すべきではないと言えるでしょう。

 

 政治的な混乱が続く南米のベネズエラでは、停電により、病院の機能が一部でまひしていて、マドゥーロ大統領と対立する野党側は、医薬品の不足なども重なり、先週以降、200人を超える患者が死亡したとしています。

 (中略)

 薬局によりますと、最も人気があるという風邪薬の値段は、去年10月に比べて、1600倍にも跳ね上がっていると言うことです。

 また停電により、一部の病院では人工呼吸器や人工透析のための機器が使用できない状態が続いていて、野党側は、14日までの1週間で200人を超える患者が死亡したとしています。

 

患者という “弱者” は病院機能が止まると、死に追いやられるリスクが激増する

 反原発派の中には「たかが電気」とバカにした発言をする人物もいますが、電力不足が発生すると、その影響は真っ先に弱者を直撃します。

 人工呼吸器や人工透析機の動力源は電気です。そのため、電力供給が途絶える事態が発生すると、患者は生命維持装置を使えない状況に追い込まれてしまいます。

 一般的な衛生環境では健康状態に問題が生じるから、患者は「入院」や「通院」を行っているのです。「入院」や「通院」が効果を発揮するのは「病院機能が動いていること」が前提であり、そのためには「電力供給」は不可避です。

 ベネズエラでは「電力供給」に問題が生じたことで、病院機能も麻痺した結果、患者が亡くなるという “負のドミノ” が発生したのです。インフラ供給を軽視すべきではないことは明らかと言えるでしょう。

 

「安定した電力供給を安価で行う」のは『弱者に寄り添った政策』である

 電気料金は消費者にとっては「コスト」です。一般家庭で利用するだけでなく、工場での生産過程など様々な場所で電気は利用されています。

 病院にある医療機器も大量の電力を消費するため、支払いに占める電気料金は安価が望ましいと言えるでしょう。なぜなら、病院は患者が支払う治療費から、医療関係者の人件費・設備投資・光熱費などのコスト負担をしているからです。

 ところが、日本では東日本大震災後に『反原発』と『電力小売自由化』へと舵を切ったため、電気代が著しく上昇する要因が揃っています。

 これが進行すると、病院の光熱費が上昇し、人件費と設備投資に回せる予算が圧迫されます。しわ寄せは「病院関係者への人件費」に行くため、病院機能が低下することは避けられないでしょう。その結果、患者の中でも “弱者” から厳しい立場に置かれることになるのです。

 

電力インフラへの投資を疎かにすると、ベネズエラのような事態に見舞われても不思議ではない

 今の日本でベネズエラのような「大規模な停電が長時間に渡って続く」という事態は起こり得ないでしょう。しかし、電力会社に『自由化による競争』を促した結果、老朽化が進んだ発電所を持つ意味がなくなり、「供給力に余裕がない状況が当たり前」へと移行しています。

 おそらく、既存の発電所に対するメンテナンスも「コスト削減」を理由に最小限しか行われないことになると考えられます。

 自由化によって供給義務から解放されるのですから、「老朽化した競争力のない発電所は順次閉鎖する」が “正しい経営判断” となってしまうためです。したがって、慢性的な電力不足に陥る可能性が高く、停電が発生しやすくなるでしょう。

 人工呼吸器や人工透析機は停電時は稼働させられませんので、非常用電源を備え付けるなどの追加コストが必要となる事態を招きます。それが一般化するまでは患者という “弱者” の命のリスクにさらされることになるのです。

 

 「たかが電気」という “裕福な反原発派” の言葉に熱狂するのは成金だけで十分です。一般的な収入範囲に位置する人々にとってはメリットのないことです。この認識が少ないようだと日本でもベネズエラのように停電が理由で弱者が亡くなるという悲劇が当たり前になってしまうのではないでしょうか。