東京入管の「落書きは止めよう」とのツイートに対し、『難民解放』を求める左派が違法行為を擁護する事態が発生

 東京入国管理局が「落書きは止めましょう」とツイートしたことに対し、左派が猛反発するという事態が発生しています。

 公共物や他人の所有物に落書きをすることは『建造物損壊罪』または『器物損壊罪』に該当する犯罪行為です。しかし、一部の左派は「落書きの内容」を理由に東京入管のツイートを批判しているのです。

 自らが定義した “正義” は『日本の法律』をも超越すると考えているのでしょう。「目的が正当なら、何をやっても許される」というのは民主主義国家ではないと言わざるを得ないでしょう。

 

東京入管によるツイートの内容

 東京入国管理局は以下のツイートを行いました。

画像:東京入国管理局のツイート

 内容は港南大橋の歩道にされた落書きを画像で添付し、「落書きは止めよう」と訴えるものでした。

 ただ、落書きの内容が「入管に長期収容されている外国人の解放を訴える人々が使う "FREE REFUGEES" との文言」だったため、入管の方針に反発する左派が抗議のツイートを大量発信。違法行為である落書きを容認する論調を展開するという状況が発生しています。

 

一部の左派は違法行為に該当する “落書き” を容認するのかという疑問

 入国管理局の姿勢(= 例えば、長期収容など)に「反対」を表明する権利は存在します。ただ、意見表明は「法で定められた規則に守って発信すること」が重要になります。

 これは「第三者に主張を受け入れてもらう」という点で大前提と言えるでしょう。どれだけ良い主張内容であっても、表現方法が違法であれば、主張内容を毀損してしまうからです。

 ところが、一部の左派はこの落書きを擁護しています。

 その主張に共通するのは「収容者に対する虐待を止めてから言え」というものです。「収容者に対する虐待」は左派が “勝手に定義した問題” なのですが、その『目的』を達成するためには違法な『手段』も容認と訴えることになっているのです。

 「自分たちは迷惑集団です」と宣伝していることと同じであることに気づいていないことは致命的な行為です。演説妨害や電車内の広告に勝手にシールを貼る行為を「市民の抗議活動」と擁護する界隈が今回の落書き問題に理解を示していると言えるでしょう。

 

「近隣住民への迷惑行為」という視点が弱者の味方であるはずのリベラルから欠損している

 また、リベラル派の支持が有権者に広がらない理由は「自分たちが擁護する行為が近隣住民の迷惑になっている」という視点が欠落していることもあります。

 入管施設の近隣地域にされた “落書き” が「お咎めなし」となるなら、近隣住民の所有物に対する落書き・破損行為が発生するのは時間の問題でしょう。「そのような愚行はしない」と宣言しても、現に違法行為をリベラル派は擁護しているおり、発言を信用する人はほとんどいないでしょう。

 入管とは無関係な近隣住民に落書きという形で不便・不快感を強いているのですから、支持が広がるどころか反感を買う結果になるのは当然ことなのです。

 味方を増やすことを目論んでいるはずなのに、アンチを増やしている時点で戦略を間違えているのです。「公共物への落書き」が容認されるなら、『他人の金で楽して生活したい、そうだ難民しよう』との落書きも容認しなければなりません。

 「自分たちが『正義』と定義した主張は法律を守らなくても問題ない」という欺瞞は通用しなくなっている現実に目を向ける必要があると言えるでしょう。

 

“エミネムがアルバムのプロモーションに使った手法” がギリギリのライン

 落書きの形で政治的メッセージを訴えたいなら、エミネムがアルバムのプロモーションに使った手法がギリギリのラインと言えるでしょう。

 「高圧洗浄機で汚れを落として文字を浮かび上がらせる」という方法ですが、「社会にメッセージを訴える」という意味では十分です。そのため、器物損壊罪に問われれば、有罪になる可能性があります。(所有者の許可なく現状を変更しているため)

 しかし、「時間とともに汚れが生じれば、現状は回復される」と裁判で主張できるため、メディアを通して「メッセージ」を社会に都度訴えるという目的を果たすことはできます。

 こうした “ずる賢さ” がなく、落書きという違法行為を全面擁護する時点でリベラル派は限界を示していると言えるでしょう。ただ、同じ手法は政治的に対立する右派系や保守系の陣営も使えるのです。このことを自覚してリベラル派は論説を展開する必要があると言えるのではないでしょうか。