民間人校長で派手に失敗した橋下徹氏が「教員免許の廃止は大いにあり、元素記号とかを使った試しがない」と無理筋な批判を展開する

 インタネット放送 AbemaTV の番組で橋下徹氏が「教員免許の廃止」や「元素記号やサイン・コサイン・タンジェント(= 三角関数)を学校で教える必要はない」との主張を行っています。

 ただ、この主張は説得力に欠くものでしょう。橋下氏が率いた大阪維新の会は “民間人校長” で失敗しましたし、様々な分野に関する学問の “さわり” を学ぶことは基礎教育では重要なことです。

 自分とっては不必要な教養であっても、他者にとっては重要な教養もあるのです。この視点は忘れるべきではないと言えるでしょう。

 

 橋下氏は乙武氏の提案を受け「大いにありだ。今の教員免許が必要な技量を測っているものなのかを問い直すことが必要だ。加えて、そのための教育や試験の中身はどうなんだということを見なければいけない。

 (中略)

 だって元素記号やサイン・コサイン・タンジェント、どこで使うの?使ったためしがない。勉強のできる人たちは"そういうのも教養だ"というが、今はインターネットで色々なことは調べられる」と指摘。

 現場の教員に「教育」を理由にして様々な業務を押し付けている現場があるのです。『教育免許』が有効に機能しているか問うよりも前に、教員に期待する業務内容を明確に線引きし、適切な報酬が支払われる仕組みを構築することを優先すべきでしょう。

 これができないようでは「机上の空論」で終わることになるでしょう。

 

大阪で不祥事を連発した “民間人校長”

 橋下氏が率いた大阪維新の会は『民間人校長』を募集し、教育の現場に「民間のノウハウ」を入れる目的のプロジェクトを行いました。ですが、不祥事を連発し、「政策は失敗に終わった」と言わざるを得ません。

 『民間人校長』で失敗したにも関わらず、改善策を講じない状況で『民間人教員』を導入すれば、同じ結果になることは火を見るよりも明らかと言えるでしょう。

 学習塾でも知識は得られますので、「教員免許は不要」という主張には正しい部分もあります。しかし、学習塾の強みは「入試試験で結果を出すこと」であり、「すべての分野の “さわり” を学ぶ」というものではありません。

 学生が「受験に不要」との理由で注力する教科を絞ることは個人の自由として許されるべきですが、行政側や学校側が「社会の役に立たない」との理由で削るべきではないでしょう。

 民間人教員にも門戸を開くと、この流れが加速する可能性があるだけに現時点での扱いは慎重になるべきことなのです。

 

知識を持たない人がインターネットで検索して『正解』と判断することは難しい

 橋下氏が主張するように「元素記号を使う機会」はほとんどないでしょう。だから、『水素水』がブームになり、『トリチウム』が “恐怖の物質” という扱いを受けるです。

 H2O と表記される『水』に『水素』が含まれているのは当たり前のこと。元素記号を覚えていれば、『水素水』は「無意味なもの」と判断され、ブームに対する疑義が呈されていたと考えられます。

 また、『トリチウム』についても『三重水素』との名称から「過剰に恐る必要のない物質」と判断できるでしょう。

 しかし、インターネットで検索をかけたところで『学術的に正しい見解』であることを判断することは簡単ではありません。なぜなら、判断するために必要となる前提知識がなければ、『正解』にたどり着ける保証がないからです。

 基礎的知識も有していない人々に『正解』と『デマ』が入り乱れた状態のインターネットで『正解』を探させることは「教育」と呼ぶに相応しいものではないはずです。

 

様々な分野に知識・学問が存在するため、義務教育で “さわり” を学ぶ基礎教育方針は意味がある

 知識や学問は様々な分野に存在しています。文系を選択した人々からすれば、理系科目がどのような形で日常生活に還元されているかは見えにくいでしょう。なぜなら、“誰でも使える” ような形にコーティングが施されているため、理系の貢献度が見えないからです。

 そのため、理系科目に対しては「使わないから基礎教育の部分から不要」との主張が出る原因になっているのです。

 一方の文系科目は基礎教育で否定されることはありません。ただ、「大学などの高等教育において過剰な予算配分が行われているため、文系教育は是正対象となるべき」との批判を受けているのです。

 中学校や高校で学習することは知識や学問の “ほんのさわり” に過ぎないレベルです。それぞれの分野をどれだけ極めるかは「個人の自由」であり、その入口を閉ざそうとする言論を述べる橋下氏の主張は問題視されるべきと言えるのではないでしょうか。