費用対効果が最重要である気候変動問題に小泉進次郎環境相が国連で「格好良く、セクシーであるべき」と語り、自らに酔いしれる

 テレビ朝日によりますと、アメリカ・ニューヨークを訪問中の小泉環境相が国連の環境関連イベントで演説を行ったとのことです。

画像:テレビ朝日のニュース

 演説内容も去ることながら、記者会見で「気候変動問題はセクシーであるべき」と発言し、環境問題を “おもちゃ” にしている点は批判されるべきでしょう。なぜなら、気候変動などの環境問題は「費用対効果が重要な経済問題」だからです。

 

 小泉環境大臣:「日本は1997年に京都議定書を採択したが、リーダーシップを発揮してこなかった。きょうから我々は変わります」

 一方、この演説の前の記者会見での小泉大臣の発言が海外メディアで報道されました。

 小泉環境大臣:「気候変動のような大きな問題は楽しく、かっこ良く、セクシーであるべきだ」

 ロイター通信はこの発言を取り上げ、「日本の新しい環境大臣が『気候変動との戦いをセクシーに』と発言した」と大きく報じました。

 

『反原発』の姿勢を採った時点で、京都議定書は「闇に葬った」も同然である

 小泉進次郎環境相は「今までの日本政府は京都議定書の達成に消極的だったが、私は違う」と主張したかったのでしょう。

 気候変動問題はセレブ層からの関心も高く、海外のリベラル勢が子供をダシにしてまで積極的に活動しています。そのため、その流れに同調することで海外メディアからの “受け” を狙うことは不思議ではありません。

 しかし、京都議定書の目標を達成するには『現実的に実行可能な政策』が必要不可欠です。京都議定書では日本に「2008年から2012年までの5年の平均値で1990年比 -6% の削減目標」が定められ、森林吸収やメカニズムクレジットで何とか達成されて状況(PDF)でした。

画像:京都議定書の達成状況

 1990年時点での温室効果ガス排出量は12億6100万トンで、対象となった 2008〜2012 年の平均排出量は12億7800万トンと削減は進みませんでした。(2017年の排出量は12億9200万トン、PDF

 したがって、本気で気候変動問題に取り組むのであれば、現実的に効果がある削減策を提示する必要があると言えるでしょう。

 

原子力発電で電気自動車と水素電池自動車の燃料を作ることが “現実的な特効薬”

 気候変動問題にはメディア受けする「華々しさ」も「セクシーさ」もありません。理由は「地味な経済問題」だからです。

 なぜなら、温室効果ガスの排出を削減するには「発生源を代替手段に置き換えるための費用対効果をシビアに計算する必要があるから」です。

 その結果、議論は経済性を計算することができる専門家が中心となるため、華やかさやセクシーさとは無縁になるのです。

 議論は地味ですから、メディア受けすることはありません。しかし、そこに子供など “(マスコミ的に)絵になる人物” が騒ぎ出すと、現実性を無視した話の一人歩きが始ります。この典型例が高額な FIT (= 全量固定買取制度)で脚光を浴びる再生可能エネルギーなのです。

 環境省はそのようなバイアスを否定すべき立場の役所なのですが、トップに立つ大臣自らスポットライトを浴びるために先頭に立っている有様です。

 気候変動問題は「中国が行っているように石炭火力を原子力発電に置き換えること」が現実解です。原発で発電した電気は電気自動車の動力になりますし、発電時の副産物で水素を生成すれば燃料電池にも転用可能だからです。

 

バックアップ電源として役立たずの再生可能エネだけでは脱炭素はできない

 「再生可能エネルギーに注力すれば、温室効果ガスの排出量を削減できる」と主張する人々は「電力の安定供給をどうするのか」という問いに対して自身の見解を述べる必要があります。

 なぜなら、再生可能エネルギーの発電量は一定ではないため、バックアップ用の電源を用意しておく必要があるからです。

 太陽光は「太陽が出ていること」が条件であり、風力は「安定した適度な風が吹き続けること」が前提です。特定の気象条件下でしか機能できない高額な発電方法に依存することで生じるリスクに言及しないことは問題ですし、高額な電気料金による産業への悪影響も無視できません。

 中学・高校のレベルなら、気候変動問題だけに限定した議論には意味があるでしょう。これは「ディベートやディスカッションの能力を鍛える」という教育的な部分での成長が期待できるからです。

 しかし、経済に影響を与える政策を考える場で費用対効果を無視された議論は論外であり、無責任と言わざるを得ません。政治家として致命的と言わざるを得ないでしょう。

 

 両親が生活費の面倒を見てくれるティーンエイジャーが気候変動問題で費用対効果や経済問題を無視したキレイゴトを主張するのは想定内でしょう。社会で勤労経験のある大人は「経済性」から主張に必要な観点を示唆することも役割と言えるはずです。

 子供をダシにしてキレイゴトを主張するマスコミやそれに同調する政治家には厳しい批判を向ける必要があると言えるのではないでしょうか。