「取材対象者を怒らせ、本音を引き出す」手法を採るマスコミが「相手が敬意を払っていない」と文句を言うのは筋違い

 デイリー新潮の編集部が「麻生財務相の記者に対する態度は目に余る」との批判記事を掲載しています。

 政治家の “態度” を批判したいのでしょうが、「マスコミは取材対象者に敬意を払っていない」という現実を棚にあげた内容となっています。また、勝手に『国民の代表』を名乗り、横柄な振る舞いをすることも反感を買う結果になっていると言えるでしょう。

 

 毎日新聞(電子版)が5月13日に報じたが、共同通信が5月12、13日に実施した世論調査で、麻生太郎財務相(77)は「辞任すべき」との回答は49.1%に達したという。

 辞任賛成と反対が拮抗し、世論が二分しているーーというわけではないだろう。麻生大臣の問題発言が相次ぎ、嫌忌する有権者が徐々に増えてきているに違いない。

 デイリー新潮・編集部が掲載した記事は根拠がありません。「〜に違いない」と執筆者の主観に基づく記事であり、根拠となるデータが何も示されていないからです。

 記事の冒頭は「麻生大臣の問題発言」にスポットを当てていますが、問題点として提起したいのは「麻生大臣が記者を『あんた』と呼ぶこと」でしょう。

 これをプライドが高いマスコミ関係者は「敬意が払われていない」との理由で不快感を溜め込んでいるのです。

 

「嫌がらせ質問をして本音を引き出すのはテクニック」とマスコミ自身が豪語

 マスコミが取材対象者から敬意を払ってもらえない理由は取材方法にあります。なぜなら、相手を不快にさせることが一般的になっているからです。

 例えば、朝日新聞の柴田真宏記者は以下のツイートを行っています。

画像:柴田真宏記者(朝日新聞)のツイート

 記者は時に、嫌がられたり的外れに思えたりする質問をわざとぶつけて選手の本音を引きだそうとします。それもテクニックの一つ。この記者はいい反応を引き出しました。

 要するに、「 “嫌がらせ行為” をして、相手(=取材対象者)を怒らせ、感情的に出た発言を基にした記事を書いている」のです。スポーツ取材だけでなく、政治・経済など様々な取材シーンで同様の手法が採られていると言えるでしょう。

 

「 “パパラッチ” や “ブン屋” でも相手から敬意が示される」というのは思い込み

 政府要人や与党議員の発言内容を都合良く切り取り、「失言問題」などと批判するマスコミが尊敬されるでしょうか。ほとんどの場合で軽蔑されることでしょう。

 「失言問題のネタ作り」のために取材対象者を不快にするための発言・行動を繰り返しているのです。“パパラッチ” が芸能人やセレブから厚遇を受けられないことと同様に、“ブン屋” も政治家から軽くあしらわれて当然なのです。

 なぜ、マスコミやメディアだけに特別対応をする必要があるのでしょうか。

 テレビ・ラジオ、新聞などが情報を独占していた時代は終わりました。今はインターネット経由で誰でも情報を発信することが可能になったのです。

 そのため、“横柄な態度の記者” ほど軽視され、仕事で結果を残すことが難しくなっているとの現実を見なければなりません。

 

「国民の代表は政治家」であり、記者・マスコミではない

 国民の代表は選挙による審判を受けた政治家です。記者や私企業であるマスコミではありません。

 しかし、マスコミが「自分たちは国民を代表している」と勘違いをするだけの “権力” を有してしまっており、これが根本的な問題なのです。

 イタリアではジャーナリストは免許制です。日本でも同様の仕組みを導入しようとすると、間違いなくメディアが反発することでしょう。したがって、マスコミの勘違いを是正するには法律とは異なったアプローチが必要となります。

 具体的な対策として、「SNS の公式チャンネルを最大限活用すること」があげられるでしょう。

 自民党なら、twitter, facebook, Youtube などの『自民党チャンネル』からインタビュー映像を先行配信してしまえば良いのです。メディア側が “悪意ある編集” を行う訳ですから、それに対する反論映像の作成・配信・宣伝に力を入れるべきなのです。

 若手議員を中心にそうした動きは進んでいますが、党の重役など “メディアがニュースで好む政治家” を積極的にネット配信する側に回らせることが重要です。これがメディアバッシングに対する有効策となる訳ですから、軸足を移す意味はあると言えるでしょう。

 

 マスコミが取材対象者からの敬意を求めるなら、“取材をしている記者の映像” も公開すべきです。自らはカメラの影に隠れ、質問内容などは編集で消すようなマスコミは「国民の代表」にはなり得ないのです。

 「マスゴミと揶揄されるのは自らの振る舞いが原因である」と自覚できないメディアが取材対象者に厚遇を求めるということ自体が論外と言えるのではないでしょうか。