ドイツでもキリスト教の聖職者による児童への性的虐待が発覚 人権派は厳しい意見を表明しておくべきでは?

 NHK によりますと、ドイツでもキリスト教(カトリック)の聖職者が未成年に対する性的虐待を行っていたことが判明したとのことです。

 この問題は「キリスト教が根付いた地域で例外なく存在する」と言えるでしょう。なぜなら、疑惑に対する捜査がこれまで消極的で、“目こぼし” によって表面化しなかっただけだからです。

 人権問題に取り組んでいるのであれば、現在進行形で被害者が救済されていない『キリスト教の聖職者による性的虐待問題』に対しても厳しい批判を向ける必要があると言えるはずです。

 

 ドイツでカトリック教会の聖職者1600人余りが、3600人を超える未成年者に性的虐待をしていたことがわかりました。聖職者による性的虐待はアメリカなどでも相次いで明るみに出ていて、ローマ法王も対応に追われています。

 これは、ドイツのカトリック教会でつくる団体が委託した調査で明らかになったもので、ドイツの有力誌シュピーゲルなどが、12日、伝えました。

 それによりますと、1946年から、およそ70年にわたり、カトリック教会の聖職者1670人が、3600人を超える未成年者に性的虐待をしていたということです。また被害者の半数以上が当時13歳以下で、ほとんどは少年だったということです。

 「自分が信じている宗教の聖職者が児童への性的虐待を行うことなどあり得ない」という “思い込み” が根幹にあったことが問題が長年続いていた温床と言えるでしょう。

 『聖職者』という肩書きはそれだけ被害を訴える声を無視し、被害者に泣き寝入りを強いる要因になっていたのです。しかし、パンドラの箱は開いてしまったのですから、問題をなかったことにはできません。

 世間一般の基準よりも、厳しい裁定を自発的に下すことが必要と言えるはずです。

 

外部からの調査が入らない教会が腐敗していても、何ら不思議ではない

 キリスト教の聖職者による児童への性的虐待は今に始まった問題ではありません。昔から存在していたものの、外部からの調査を免れていたため、現在まで問題として取り上げられることがなかっただけなのです。

 疑惑が持たれている教会に対する(実質的に初めての)調査が行われる訳ですから、“隠し通すことが不可能な案件” は表面化します。

 これまでは「宗派に対する信用を損ねる」との理由で隠蔽してきたのでしょう。信仰する宗教の “教え” など最もらしい理由を述べて誤魔化すことが可能でした。

 しかし、情報の伝達経路が多様化した現在では『隠蔽』は逆効果にしかなりません。世間一般の水準と同様の処分を科し、それを公表することが最低限の責務と言えるはずです。

 

人権問題で「ゼロ・トレランス」が叫ばれる中、キリスト教の聖職者には異なる基準で対応されるのは問題だ

 人権派は社会問題に対し、「ゼロ・トレランス(= 決して容認しない姿勢)」を要求しています。

 ゼロ・トレランスを掲げるのであれば、キリスト教の聖職者による性的虐待問題にも同じ対応で臨むことが最低限の責務と言えるでしょう。しかし、そうした声がメディアで紹介されることは極めて少なく、厳しい声が出ているのかも不明な状態です。

 漫画での表現ですら、「児童が性的に搾取されている」と批判する人・団体が日本には存在するのです。

 そういった主張をする人々は “現実世界で性的に搾取された児童” が存在することを重く受け止め、カトリック教会に抗議の声明を発表しなければなりません。これができないようでは人権問題に取り組む姿勢を見せるだけのパフォーマーに成り下がってしまうからです。

 

「年平均20人以上の聖職者が50人超の未成年に性的虐待を行っている」という実態は明らかに異常

 問題行為をゼロにすることはできません。「ゼロにすること」を要求すると、隠蔽が蔓延する温床となるからです。

 しかし、「問題件数をゼロに近づけること」や「被害が隠蔽されることをゼロにすること」は現実的に可能な目標です。この動きをどれだけ徹底できるかが信頼回復には欠かせないと言えるでしょう。

 ただ、信頼を回復することは並大抵ではありません。

 なぜなら、問題の発生件数が群を抜いて高いからです。『セクハラ』の発生数ではなく、『未成年への性的虐待』の発生件数なのです。「年20人以上の聖職者が50人超の未成年を毒牙にかけていた」という問題はかなり根深いことが予想されます。

 「聖職者不足」が問題となるほどの大鉈を振るわない限り、信頼を回復することは難しいと言えるでしょう。

 

 2枚舌やダブルスタンダードは嫌われる原因となります。批判を向けなければならない行為をした人物・団体に対する苦言を呈さなければ、同類を見なされるという認識を持った上で対応を行う必要があると言えるのではないでしょうか。