『四つ相撲』で横綱に上り詰めた稀勢の里、『突き押し』へのモデルチェンジができずに引退

 横綱・稀勢の里が「1月場所での引退」を表明し、力士人生に幕を下しました。

 引退へと追い込まれた理由は「左を使った攻めの威力が負傷で衰え、『四つ相撲』からの転換を強いられたこと」でしょう。これが決定打となってしまったのです。

 

『四つ相撲』の時代が終わり、『突き押し』が全盛期を迎えつつある

 大相撲は『四つ相撲』が “王道” で、最も多い決まり手は「寄り切り」でした。それが2018年には『突き押し』による「押し出し」が「寄り切り」を上回ったとの指摘があるのです。

 時代の転換点を迎えている状況なのです。

  • 『四つ相撲』
    • コンディションに左右されにくい
    • 劣勢でも組み合えれば、勝機が生まれる
    • 安定度に重きを置くため、リーグ戦向き
  • 『突き押し』
    • コンディション(= 立ち合い)に大きく左右される
    • 劣勢での挽回は難しい
      → ただし、状態次第では相手が横綱でも瞬殺可能
    • 勢いが全てなので、トーナメント戦向き

 『突き押し』のスタイルはトーナメント戦で勝者が決まるアマチュア相撲では主流となっています。「一発勝負で敗けが許されない」という環境ですから、『突き押し』で腕を磨いて来た力士が角界に増えるのは自然な流れと言えるでしょう。

 

『四つ相撲』で頭角を現し、横綱となった稀勢の里

 稀勢の里が頭角を現した理由は「左を使った『四つ相撲』を確立させたから」でしょう。「左の差し」や「左のおっつけ」という形で『四つ』に持ち込み、実力を示していました。

 この安定感が発揮されたのが「横綱昇進前・六場所の成績(勝率:8割2分2厘)」です。稀勢の里の全盛期だったと言えるでしょう。

 相手を組み止めてしまえば、『四つ相撲』は威力を発揮します。しかも、稀勢の里の「左」は強力な武器であったため、“難点” を隠すという役割も果たしていたのです。

 そのため、稀勢の里を「大成」させる上で『四つ相撲』を極めるという決断は正しかったと言えるでしょう。ただ、負傷によって「左」の威力が衰えると、完全に行き詰まってしまう結果となってしまいました。

 

“腰高” の力士による『突き押し』へのモデルチェンジは諸刃の剣

 角界で『四つ相撲』が主流だった理由は「本場所が15日間で争われるリーグ戦であること」と「腰高という問題点を覆い隠せる」という利点があったからでしょう。

 体格の良い(≒ 身長の高い)力士は必然的に「腰高」となります。相撲を取る際、腰高は弱点です。そのため、幕内の上位に定着する力士はそれぞれの形で弱点を克服しています。

 弱点克服策として有効なのは「『四つ相撲』の腕を磨くこと」でしょう。稀勢の里や栃ノ心などの力士は『四つ相撲』に持ち込むことで、パワーで相手力士の重心を浮かせることが可能だったのです。

 ところが、『四つ相撲』に持ち込めなかったり、持ち込んでも勝てないとなると、モデルチェンジは避けられなくなります。

 稀勢の里が『突き押し』などへのモデルチェンジを図ると、腰高が弱みになります。「下から上に突き上げられる」ほど、相手から受けるダメージは大きくなるのですから、間合いの取り方などに定評があるとは言えない稀勢の里には厳しい状況だったと言えるでしょう。

 

 稀勢の里が横綱として残した成績は「不十分なもの」だったと思います。ただ、昇進を猛プッシュした横綱審議委員会と日本人横綱による興行に目がくらんだ日本相撲協会の責任を無視することはできません。

 また、「日本人横綱の誕生」を好意的に報じたメディアや喝采を送ったファンにも責任はあります。判官贔屓が過ぎたために生じた “歪み” が元に戻るまでには時間を要することでしょう。

 無理を強いることは力士本人も周囲も長期的には不利益を被るという現実に目を向ける必要があると言えるのではないでしょうか。