琉球新報、告別式広告を掲載したことは棚に上げて「沖縄市が指定暴力団に弔電を送ったのは由々しきこと」と紙面で批判する

 「沖縄市が指定暴力団会長に弔電を送った」と琉球新報が報じています。

 この沖縄市の行為は「批判されて止むを得ない」と言えるでしょう。なぜなら、反社会的勢力との関係を絶つどころか、「社会の一員」と認める活動をしたことになるからです。

 しかし、沖縄市は「在沖2紙に掲載された告別式広告を見て弔電を送った」のです。この事実を無視して沖縄市の対応をメディアが批判することはダブルスタンダードと言わざるを得ないでしょう。

 

琉球新報が報じた記事

 琉球新報は7月20日付で次のように報じました。

画像:琉球新報が報じた記事

 12日に死去した指定暴力団旭琉会の富永清会長の告別式に、桑江朝千夫沖縄市長を差出人とする弔電が送られていたことが19日までに分かった。私人ではない上に全市民を対象とする発送システムで形式的に送られた形だが、経費は公費で賄われている。識者は「反社会的勢力が市民と認められた形になる」と指摘している。

 琉球新報は直接的な表現を避けていますが、「故人の告別式広告は15日付の琉球新報と沖縄タイムスの朝刊に掲載された」と産経新聞が報じています。

 つまり、琉球新報も沖縄タイムスも反社会的勢力から広告掲載費を受領しているのです。沖縄タイムスは沈黙を貫いていますが、琉球新報は自らの行為を棚に上げて沖縄市の対応を批判しています。

 これはダブルスタンダードとして厳しい批判にさらされなければならないと言えるでしょう。

 

『富永清会長の告別式』との接点を問題視するなら、自社の接点についても批判しなければならない

 琉球新報の姿勢が問題されるのは「自分たちが『富永清会長の告別式』の広告を掲載したことを不問としているから」です。

 自社は「告別式の喪主は反社会的勢力ではない」との判断を下しておきながら、琉球新報に掲載された告別式広告を見て弔電を送った沖縄市の行動を「暴対法を軽視している」と非難しているのです。

 明らかなダブルスタンダードだと言わざるを得ません。沖縄市は弔電を送りましたが、琉球新報(と沖縄タイムス)は広告掲載費を受け取っているはずです。

 反社会的勢力との関係性で言えば、どれだけ少なく見積もったとしても「50歩100歩」です。マスコミが掲載した告別式広告を見て行動を起こした行政の対応を批判しているのですから、これは「マッチポンプ」と同じです。

 この問題に対する報道姿勢は「沖縄タイムスの方がマシ」と言えるでしょう。

 

沖縄市の対応を批判したいなら、「反社会的勢力からの広告掲載依頼」を拒絶することが先決

 「沖縄市が “独自に” 暴力団会長の告別式に弔電を送っていたこと」が取材によって判明したなら、これは琉球新報のスクープと言えるでしょう。しかし、実際は「琉球新報に掲載された告別式広告に対して自動的に弔電が送られた」のです。

 「システム上の欠陥があった」と言うことはできますが、自分たちが「反社会的勢力ではない」との “お墨付き” を広告掲載という形で与えてしまっているため、説得力の乏しい批判であることに変わりありません。

 少なくとも、今回の件で沖縄市の対応を批判する資格は琉球新報には存在しません。

 批判したいのであれば、自社の広告掲載基準を見直すことが先です。「反社会的勢力からの広告掲載依頼に応じてしまったこと」を問題視し、再発防止策を講じた上で批判を行うことが大前提と言えるでしょう。

 

 「自分に甘く、他人に厳しく」という姿勢は反感を招くだけです。情報発信源が新聞社など既存メディアに限定されていた時代とは “基準” が異なるのです。双方向が当たり前になった時代にメディアは適応する必要があると言えるのではないでしょうか。