立憲民主党は蓮舫議員のように『脱炭素社会』を誤解しているのではないか
『原発ゼロ法案』を提出した立憲民主党ですが、その目的が「脱炭素社会の潮流に乗るため」と蓮舫議員がツイートしています。
この主張は「原発をゼロにしても脱炭素社会にはならない」という現実を無視した内容と言えるでしょう。キャッチコピーで世間を欺こうとする政策であると指摘できるからです。
東日本大震災。信じさせられていた神話を正したい。世界は脱炭素社会が潮流になってもなお、日本は原発再稼働の道を歩もうとしています。私たちは、原発のない社会に向けた一歩を踏み出したいと考えます。
立憲民主党が原子力発電所を廃止する『原発ゼロ法案』を提出することは自由です。
しかし、根拠に基づかない主張は問題があることを指摘しなければなりません。なぜなら、現在の技術水準で原発をゼロにすると、脱炭素社会の潮流に逆行することになるからです。
このことを理解した上で、蓮舫議員がツイートしたなら悪質です。理解していないなら、エネルギー政策においては明らかな勉強不足と言えるでしょう。
1:『脱炭素社会』とは
まず、『脱炭素社会』という言葉ですが、これは「温暖化の原因となっている温室効果ガス(主に二酸化炭素)の排出量を少なくした社会」というものです。
海面の上昇や異常気象などという形で地球温暖化の影響は生じています。そのため、原因となっている温室効果ガスの排出量を削減しようという動きが活発になっているのです。
しかし、解決しなければならない問題点も存在します。
その最大の問題は「経済活動を維持する上で欠かせないエネルギーをどう確保するのか」です。経済活動が止まれば、温室効果ガスの排出量はゼロになります。
例えば、産業革命以前の工業水準は “『脱炭素社会』が達成された社会” と言えるでしょう。選択肢の1つですが、不便な時代に逆戻りすることに賛同する人は極めて限定的と予想されます。
2:『脱炭素社会』には「二酸化炭素の総排出量が削減すること」が必須
もし、原子力発電が二酸化炭素を大量に排出する発電手法なのであれば、『脱炭素社会』に向けて『原発ゼロ』を推進する理由になります。
ところが、原発は二酸化炭素をほとんど排出しない発電手法です。そのため、『脱炭素社会』と『原発ゼロ』は結びつかず、現実には逆効果をもたらすことになるでしょう。
かつては “工場から排出する煙” が二酸化炭素などを含む様々な環境汚染物質の発生源となっていました。それが規制でクリーンなり、現在では「ガソリン車」や「火力発電での電力消費者」が二酸化炭素の主要排出源と言えるでしょう。
つまり、省エネが進んだ現状で「ガソリン車」や「火力発電での電力消費者」が排出していると見なされる二酸化炭素を削減しなければならないのです。
3:電気自動車や再生エネを普及するだけでは意味がない
『脱原発』や『原発ゼロ』を掲げる個人・団体は「電気自動車や再生可能エネルギーの普及」といった “クリーンなエネルギー” を全面に押し出すことでしょう。
ですが、解決策とはなりません。なぜなら、二酸化炭素の発生源を付け替えているに過ぎないからです。
- 電気自動車
- 車両によるCO2排出を削減
- 動力である電気が必須
→ 火力発電が約85%の日本ではCO2削減とはならない
- 再生可能エネルギー
- 太陽光パネルの製造過程で電力を消費
- 安定した発電を望めないため、バックアップ用電源が必須
要するに、目の前にある二酸化炭素の発生源が電気によって、クリーンになったように勘違いしているだけなのです。「環境のことを考えて、電気自動車を購入した」と言っても、火力発電による電力で駆動していれば、温室効果ガスの発生源を付け替えたに過ぎません。
また、クリーンの代名詞として登場する太陽光発電はパネル生成時に “安定した電力” を必要とする上、発電が不安定になることからバックアップ用電源が不可欠です。その際は火力発電がセットになっているのですから、『脱炭素社会』とは真逆のことをしている状況なのです。
原発を法案でゼロにすれば、電力会社の財産である原子力発電所を侵害することになります。電力会社が国家賠償を請求されれば、国が敗訴することが確実視されますし、賠償の原資は税金です。
現状で明らかになっている “問題点” を隠し、『原発ゼロ』や『脱炭素社会』という関連性のない項目を掲げる詐欺のような政策を掲げることは国政政党として不適切と言えるのではないでしょうか。