「週刊誌に取材情報を流した記者への処分を見送ったテレ朝」を批判しない朝日新聞が「情報公開法を所管する野田総務相への情報漏洩」を批判しても世間は賛同しない

 朝日新聞が「野田総務相の事務所(=秘書)が金融庁に圧力をかけていた」と報じた問題で、「朝日新聞の金融庁への情報公開請求が開示決定前に野田総務相へ伝わっていた」と報じています。

 金融庁と野田総務相の対応は批判されるべきでしょう。ただ、テレビ朝日は財務省次官によるセクハラ疑惑問題の際に自社社員による情報漏洩問題での処分を見送っています。

 そのため、「朝日新聞に批判をする資格はない」と見なす人が多いことでしょう。ダブルスタンダードによる批判は反発を招くだけであることを自覚しなければなりません。

 

 野田聖子総務相の事務所による金融庁への説明要求問題に絡み、朝日新聞が金融庁に情報公開請求していた内容が、開示決定前に野田氏に伝わっていたことがわかった。さらに、野田氏は知り得た内容を第三者である複数のメディアとの懇談の場で話していた。20日の閣議後会見で、野田氏が外形的な事実を認めた。

 総務省は情報公開法を所管し、同法の円滑な運営のために請求内容の漏出防止を指導する立場にある。情報が漏出した金融庁とともに、総務相として野田氏の責任が厳しく問われるのは必至だ。

 朝日新聞の主張は “真っ当な内容” です。しかし、「ダブルスタンダードになっていること」が賛同者が増えない大きな理由と言えるでしょう。

 したがって、朝日新聞がダブルスタンダードを自ら解消することが不可欠です。それに乗り出さなければ、どれだけ真っ当な批判であっても、世間が耳を傾けようともしないという事態が起きることになってしまうのです。

 

週刊誌に『録音データ』を流したテレ朝の女性記者はお咎めなし

 朝日新聞の子会社に当たるテレビ朝日は財務省次官のセクハラ疑惑問題で、女性記者が録音データ(=取材情報)を週刊誌に横流しを行いました。

 つまり、テレビ朝日(と親会社である朝日新聞)は「情報漏出を防止しなければならない立場」にある訳です。しかし、問題を起こした社員に対する処分は見送りました。

 自社グループ内で起きた情報漏洩には何の処分も科さない一方で、「金融庁が朝日新聞の行った情報公開請求を事前に伝達したのは許されない」と批判しているのです。

 これでは世間一般に主張内容が受け入れられないでしょう。なぜなら、泥棒が他の泥棒による窃盗行為を批判していることと同じだからです。まずは自分たちの姿勢を改めることから始めなければなりません。

 

「情報漏洩問題」で追求したいなら、テレビ朝日の姿勢を厳しく批判することが大前提

 朝日新聞の姿勢が世間で反感を招く理由は「自分たちの不祥事には極めて甘く、他人の不祥事には舌鋒鋭く批判するから」です。

 財務省次官のセクハラ疑惑問題で情報漏洩問題が発覚したテレビ朝日の対応を朝日新聞は厳しく批判し、責任を追求したでしょうか。「情報漏洩など存在しなかった」と “報道しない自由” を行使し、『グループの恥』を隠蔽することに躍起になっています。

 他の企業を紙面やテレビ番組でバッシングをした以上、テレ朝や朝日新聞が採れる対応は「他社に求めた対処を自分たちが率先して行う」か「徹底して隠蔽する」かのどちらかです。

 当然、選択すべきは『前者』です。なぜなら、報道機関として批判を行った際の説得力に雲泥の差が生じてしまうからです。もし、『後者』を選択するのであれば、報道機関を名乗る資格はないと言わざるを得ません。

 

 「信用」が重要視される報道において、視聴者や読者が「情報の信憑性」をチェックしなければならないという事態はメディアにとって致命的です。

 メディアの「立ち位置」は自由ですが、それは「論評」だけに留めなければなりません。論評のために都合の良い部分だけを切り取って報道する体質は嫌悪感を招くことになり、肝心の主張内容は無視されるという結果を招いてしまう恐れがあります。

 “ワル” が得をするような状態は解消に向かうべきです。

 そのためには報道機関が「自分たちの都合の良いことだけを報じ、不祥事は仲間内でかばい合う」という “村社会” から脱却することが必要不可欠と言えるのではないでしょうか。