「被害者の証言を疑うことは論外」との姿勢を採り続けて来た朝日新聞が「強姦冤罪事件、裁いた国の責任は」との批判記事を掲載する

 朝日新聞の大貫聡子記者が大阪で発生した強姦冤罪事件に対し、『女性の「うそ」で服役 裁いた国の責任は』との記事を執筆し、ウェブ上に掲載されています。

 この冤罪事件は裁判官が「被害女性が “でっち上げ” を行うとは考えにくい」との理由で判決を下したことが根底にあります。もし、この対応を批判するのであれば、慰安婦問題や伊藤詩織氏の件で同じ姿勢を採る朝日新聞社も同様の批判にさらされるべきだと言えるでしょう。

 

 強姦(ごうかん)事件などで服役中に被害証言がうそだったとわかり、再審で無罪となった男性(75)と妻が国と大阪府に計約1億4千万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が8日、大阪地裁である。男性側は冤罪(えんざい)の責任は捜査機関だけでなく、裁判所にもあると訴えている。

 朝日新聞が取り上げた事件は「被害を訴える女性の証言」しか『証拠』が存在しなかったのでしょう。つまり、「証言の信憑性」が問われる案件となったはず。

 本来なら、そこで「疑わしきは罰せず」という『原則』が機能するはずでした。しかし、「女性が被害を “でっち上げ” をするとは考えにくい」という『思い込み』が働いたことで冤罪が発生することになってしまったのです。

 同様の問題は他でも起きていることです。少なくとも、今回の件で朝日新聞が「正義の味方」を気取る資格はないと言わざるを得ないでしょう。

 

「女性が被害を “でっち上げる” とは考えにくい」との思想の元祖は朝日新聞

 「女性被害者の証言」を鵜呑みにして大きな問題を引き起こした元祖は朝日新聞です。慰安婦問題に端を発し、最近では伊藤詩織氏に肩入れを行っていることが根拠です。

 「被害を訴えた側」や「加害者と名指しされた側」の双方に嘘を付いている可能性があるのです。『客観的に判断できる証拠』が提示されていない場合はそのことに留意する必要があるのは当然です。

 心情的に「被害者に寄り添いたい」と考える気持ちは理解できなくもありませんが、それは『公平中立』を掲げる立場の者は絶対に採ってはならない姿勢です。なぜなら、冤罪の温床となるからです。

 このことを理解していないから、#MeToo 運動が『魔女狩り』と化しているのです。

 

一般市民で構成された検察審査会でも「不起訴相当」となった伊藤詩織氏の件を支持し続けるのは矛盾

 #MeToo 運動が『党派色の強い運動』と見なされるのは「リベラルが政権批判のための道具として利用している傾向が強すぎるから」です。

  • 伊藤詩織氏のケース:
    • 「安倍首相に関する書籍を執筆したジャーナリストから強姦被害を受けた」と告発
    • 被害を警察に訴えるも、検察は不起訴処分
    • 告発内容などに疑問を呈する声も出るが、野党や左派系メディアは伊藤氏を徹底擁護
    • 検察審査会への申し立ては「不起訴相当」の結論が下される
    • 朝日新聞は伊藤詩織氏を「日本で #MeToo 運動を主導した」と持ち上げる
  • 大阪での強姦冤罪事件のケース:
    • 10代の女性が「強姦被害を受けた」と告発
    • 検察は起訴
    • 裁判で被告は一貫して無実を訴えるが、「女性が被害をでっち上げるとは考えにくい」との理由で有罪が確定
    • 被害女性の証言が虚偽だったことは判明
    • 朝日新聞は「裁いた国の責任は」との記事で批判

 要するに、朝日新聞は「政権批判がしたいだけ」なのです。日本政府を批判するためなら、『証言の信憑性』などは平気で見て見ぬ振りをします。

 「伊藤詩織氏が被害をでっち上げるとは考えにくい」との理由で伊藤氏の言い分を全面的に支持する記事を書く一方で、同じ考えで発生した冤罪事件では「国の責任は?」との批判記事を書いているのです。これらの論説方針は両立しないのですから、朝日新聞は態度を明確にする必要があると言えるでしょう。

 

伊藤詩織氏をアイコンとして扱い続けるマスコミが存在する限り、セクハラの刑事事件化は絶望的

 「セクハラを犯罪として対処すべき」との声がありますが、残念ながら極めて困難と言わざるを得ないでしょう。なぜなら、フェミニストなどが犯罪として対処することを難しくしているからです。

 セクハラ問題を他の犯罪と同じように扱うなら、他の犯罪での容疑者とされた人物と同等と権利を保証しなければなりません。しかし、現状の #MeToo 運動ではそれができていないのです。

  • 有罪か無罪かの結論は裁判所が下す
  • 容疑者(≒ 加害者)には弁護士によるサポートを受ける権利がある
  • 逮捕は実名報道だが、不起訴や無罪となれば匿名報道になる

 マスコミが #MeToo 運動を持ち上げるのは「メディアによる私的裁判」と化しているからに過ぎません。

 被害を訴える側の人物による「一方的な主張」を受け、メディアがバッシングを行い、加害者と名指しされた人物の反論すら許さないのです。しかも、被害者側の主張に疑義を呈することはタブー扱いしている状況です。

 これでは「セクハラは犯罪として対処すべき」との声は何の意味も持たないでしょう。『他の犯罪では守られている容疑者の権利』を無視して暴走する界隈の主張に耳を傾けてくれる人など圧倒的少数だと考えられるからです。

 

 朝日新聞は「女性や弱者の味方」ではありません。ただ単に「日本政府を批判したいだけの集団」なのです。そのため、主張内容に一貫性を期待すること自体が間違っていることなのです。このことを認識した上で朝日新聞が報じる記事から必要な情報だけを抜き取る必要があると言えるのではないでしょうか。