日本よ、これが本物の人種差別だ AP通信がアフリカ人活動家を除外した写真を用いてダボス会議に出席したグレタ・トゥンベリらの姿を転電
1月末にスイスで行われていたダボス会議でアメリカの通信社『AP 通信』が配信した写真が大きな物議を醸しています。
理由は「黒人のアフリカ人活動家が(意図的に)切り取られていたから」です。グレタ・トゥンベリが出席していたため、「グレタ・トゥンベリだけをピックアップした写真」なら理解できるものです。
しかし、「5人の女性活動家で唯一の黒人だった活動家が除外された4人の集合写真」として配信されたのですから、これは差別以外の何者でもないと言わざるを得ないでしょう。
切り取られたのはヴァネッサ・ナカテというアフリカ出身の女性活動家
集合写真から “消された存在” となっていたのはアフリカ・ウガンダ出身の女性活動家ヴァネッサ・ナカテ(Vanessa Nakate)氏です。
Everyone saying that I should position myself in the middle is wrong!
— Vanessa Nakate (@vanessa_vash) 2020年1月25日
Does an African activist have to stand in the middle just because of fear of being cropped out?
It shouldn't be like this! pic.twitter.com/PR544GIv7g
撮影者が写真をわざわざ編集する理由は「写ってはならない人や物が写っていたから」でしょう。
やり直しが可能なら、撮影をやり直すはずです。しかし、ダボス会議の現場では撮り直しができず、『グレタを筆頭とする環境問題に取り組む少女の活動家たち』という写真を欲していたから、黒人であるヴァネッサ氏の存在を消す判断が下されることになったと思われます。
つまり、『AP 通信』が求めていた写真は「白人少女4人による環境保護活動家」であり、「黒人の(アフリカ人)が含まれる5人の写真」ではないことが明るみに出ました。これは明らかな差別ですし、厳しい批判にさらされるべき問題と言わざるを得ないでしょう。
環境保護活動は「裕福な白人リベラルの自己満足」との実態が明かされたことは大きい
AP 通信が配信した写真で環境保護活動の実態が白日の下にさらされたことは大きいと言えるでしょう。「10代から20代前半の環境保護活動家」を紹介するはずの写真から有色人種を除外したからです。
その結果、残ったのは白人だけという状況になりました。
要するに環境保護活動はブルジョワ(≒ 裕福)な白人リベラルの自己満足に過ぎないことが明らかになったのです。「有色人種は環境保護活動の先頭に立たないで欲しい」との “本音” が見えたのですから、この事実は知っておく必要はあるでしょう。
また、名誉白人として『知識のない有色人種』を “教育” することで優越感を得ている活動家は一定数存在するため、運動や活動を通した形での差別は現在進行形で起こり得ることを認識しておくことも重要です。
『主張の内容』ではなく『主張者の見た目や属性』に頼る運動からは距離を取るべき
環境保護がどの国にとっても重要なのは当たり前です。乱開発を容認することによって環境問題が発生することは明らかですし、ほとんどの国で環境保護に対する何らかの規則が存在しているのです。
環境問題が発生して国民生活に支障が出ると、国の経済にも影響が出ます。そのため、どの国でも「経済発展を理由にすれば環境保護に取り組む必要はない」との経済活動最優先の姿勢は容認していないのです。
『経済最優先』と『経済優先』には違いがあります。この違いを認識できないグレタ・トゥンベリのような活動家をマスコミが持ち上がるのは問題と言わざるを得ません。
『経済最優先』なら、工場の排煙脱硫装置を設置することすら拒むでしょう。『経済優先』の場合は「排煙脱硫装置の設置は義務付け」されているものの、「規定を満たす排煙脱硫装置」との表現でどれだけの機能を求めるかの選択肢が企業側にあるはずだからです。
グレタ・トゥンベリらの主張は「環境保護のために今すぐ経済活動を止めろ」と言っているのです。それに生じる損害をグレタなど白人ブルジョワ層が埋めあわせる訳ではありませんし、主張内容ではなく「見た目」や「属性」で押し切ろうとしている時点で距離を取るべきです。
大学で学ぶべき基礎的な知識もないことを皮肉られたにも関わらず、「学位がなくても問題ない」と反論するのは教養が不足しているのでしょう。
ロジックが機能しているとは言い難い活動家が掲げる主張には注意が必要です。特に、グレタ・トゥンベリらの主張する『環境保護』はその典型例となっていますし、差別の実態も見えた現状では距離を取るべきと言えるのではないでしょうか。