「望月衣塑子記者の事実に反するツイートが拡散」との批判に対し、東京新聞労組が「『事実』より『内閣と対峙する姿勢』が重要」との論点逸らしで擁護

 2月5日に行われた菅官房長官の定例会見で東京新聞の望月衣塑子記者が「番記者たちが望月には指させないと内々に決めた」とツイートし、毎日新聞が秋山信一記者の署名記事で「事実に反する」と全否定する状況となっています。

 これに対し、東京新聞の労働組合が「望月記者の事実誤認の有無」より「記者会見のあり方」や「記者会が政権と対峙する姿勢」の方が重要と “擁護” しています。

 『事実』よりも『新聞社の主張』を優先するのであれば、軽減税率の適用対象から外すべきと言わざるを得ないでしょう。

 

オブザーバー参加の望月記者が “質問時間に余裕のない会見” で指名される可能性は低い

 まず、毎日新聞の秋山記者は菅官房長官の記者会見では質問時間に対する余裕がなくなっていると言及しています。その主な理由は以下のものです。

  • 年末年始は慣例で1日1回の会見だった(通常は1日2回)
  • 1月中旬以降は菅官房長官も国会出席が求められており、会見を行うことができる時間に限りが生じていた
  • 新型コロナウイルスの問題も加わり、質問数そのものが増えていた

 朝日新聞や毎日新聞などは『桜を見る会』に固執していますが、『新型コロナウイルスの問題』が発生したことで全体の質問数は大きく増加しました。そのため、『内閣記者会』の正会員であったとしても、聞きたい質問ができるかは難しい状況にありました。

 ここで指摘する必要があるのは望月衣塑子記者は『内閣記者会』の正会員ではないということです。望月記者はオブザーバー会員であり、質問の権利が得られるのは「正会員の質問が終わった後」です。

 当然、質問時間が限定されると、オブザーバーである望月記者は質問することはできません。にも関わらず、望月記者は「番記者が内々に質問を制限した」と事実無根のツイートをしたのです。これは厳しい非難にさらされるべきものと言わざるを得ないでしょう。

 

東京新聞の労組は「記者会見のあり方」と「記者会が政権と対峙すること」が重要と論点を逸らして擁護

 メディアに期待されていることは「事実を伝えること」です。「メディアの主張内容を押し付ける」ことや「政権との対決姿勢をアピールする」ことは求められていないのです。

 だから、そのような姿勢を鮮明にするメディアほど読者離れに直面することになっているのです。

 望月記者のツイートが問題視され、批判をされている理由は「事実に反する内容を投稿したから」です。「『事実』を伝えること」を重視するなら、望月記者のツイートは批判の対象となるでしょう。

 しかし、望月記者が所属する東京新聞は論点を逸らした上で労組が擁護するツイートをしました。

画像:論点を逸らして擁護する東京新聞・労組

 「記者会見のあり方」や「内閣記者会が政権に対峙する姿勢」が一番大事と宣言したのです。主張自体が “論点逸らし” ですし、「政権と対峙する姿勢があれば『事実』を異なる内容でも問題ない」と投稿しているのです。

 マスコミの大原則であるはずの「真実の追求」を放棄すると明言しているのですから、このようなマスコミに軽減税率の恩恵を与える意味はないはずです。優遇措置の剥奪を検討しなければならない時に来ていると言えるでしょう。

 

「報道の内容を事前に決定してから取材活動を開始するメディア」が凋落したところで読者は全く困らない

 マスコミの “本音” は『PR コンサル』や『広報』として「メディア取材の現場」に携わることで生計を立てていたとする Ryoko Wanibuchi 氏が note に投稿した内容が代弁していると言えるでしょう。

  • 取材とは「報道したいことが先にあって、それを裏付ける情報・ネタを集める行為」のこと
  • 取材とはあくまで「報道のための材料を集めること」なので基本的にはボランティア
    → 個人的にはむしろ受ける側がお金を払ってもいいくらい
  • 時間対価ガーと思う人は、ただ断ればいいだけの話
  • 取材はあくまで概念や事実を得るための場なので、話したとおりのことが書かれるわけではない
  • 『取材リテラシー』がないまま個人の発言権・影響力だけが増していくことは、メディア界全体の未来にとってとてもよくない気がする

 この人が主張しているのは「取材を受ける側が “取材をする側の視点” を身につけて協力的になれ」というものです。

 要は、経営者が従業員に対して「経営者の視点を持って業務に当たれ」と言っていることと同じです。『経営者の視点』は「経営者の権限」を持っているから意味があるのであって、裁量権のない一般社員が『経営者の視点』で方針決定することは誤りです。

 なぜなら、『経営者』と『従業員』の “利益” は一致することはあっても、“損害” は一致しないからです。例えば、「サービス残業」は『経営者の視点』では「自発的にやって欲しいこと」ですが、『従業員の視点』では「やりたくもないこと」です。こうした “落とし穴” が存在していることは覚えておく必要があるでしょう。

 同様に『取材をするメディア』と『取材を受ける個人や企業』の “利益” は一致しても、“損害” までは一致しません。

 「事実と異なる情報」が流されても、メディアは “お詫び” で幕引きします。しかし、風評を流された個人や企業は信頼回復のための費用を自費で負担することを強いられる上、メディアに抗議しても当のメディアは「事実を報じたことへの反発を受けるマスコミ」と自己正当化に走る可能性もあります。

 そのため、『報道の内容を事前に決めているマスコミ』の取材に “協力” することは不利益が大きすぎると言わざるを得ません。

 

 まともな取材を行う能力のない人物が『記者』の肩書きを使って傍若無人に振る舞い、それを所属組織も黙認を続けている有様が世間に知れ渡ったことでマスコミの影響力が急落しているのです。

 『事実』を報じることよりも『メディアが設定したシナリオ』を優先するマスコミに協力する人はさらに減少することでしょう。なぜなら、「マスコミの利益」のために無償で協力する価値を見出せないからです。

 『自社のイデオロギー』を優先した報道をするマスコミは衰退して困る人はマスコミで働く当事者だけでしょう。書き手や伝え手の “気持ち” は「事実を伝える報道」には不要であるという当たり前のことをする必要があると言えるのではないでしょうか。