不要不急の代表例である演劇・芸術界などからの支援要請表明は「他分野を貶した前科」と「下手な頼み方」によって逆風を強めるだけ

 新型コロナウイルスの感染拡大で音楽・演劇・芸術などの文化面も収入がほぼストップし、国からの支援を求める論調が出ています。ただ、「文化は特別であり、支援は必須」という特別対応を求める要求であることが反感を買っている状況にあります。

 他分野を咎め続ける言動を続けて来た “前科” があるのですから、発言力のある文化人によって辛酸を舐めさせられた業界を中心に「ふざけるな」とのバッシングを受けることは自業自得に過ぎないと言えるでしょう。

 

“劇作家や演出家として活動する文化人” が「モデルのようなプロフィール写真」で支援を訴える絶望的なセンスのなさ

 文化への支援は平田オリザ氏から始まり、坂本龍一氏が続くなど著名人が音頭取りをしています。ただ、過去の主張内容との整合性に問題があり、炎上を招く結果となっています。

 直近の例では劇作家や演出家として活動する山田由梨氏でしょう。

画像:ハフポに寄稿した山田由梨氏

 (朝日新聞系列の)ハフィントンポストに『今、日本社会で問われている「文化の価値」』と題するコラムを寄稿し、「文化は特別なのだから支援をしなければならない」と世間に対して “説教” をしています。

 (朝日新聞系列の)ハフィントンポストに『今、日本社会で問われている「文化の価値」』と題するコラムを寄稿し、「文化は特別なのだから支援をしなければならない」と世間に対して “説教” をしています。

 しかし、止めてしまった流れを再開させるために多額の費用が必要なのは全業界・業種に共通することです。音楽・演劇・芸術など文化事業だけではありません。したがって、文化だけを特別扱いすることは論外と言えるでしょう。

 山田由梨氏は劇作家や演出家として活動しているそうですが、ハフポに掲載した自身の写真は絶望的にセンスがありません。

 「演劇の魅力」を伝える内容のものが選ばれていないからです。「自身の見栄え」は「演技力」や「劇中の構成力」とは関係のないことであり、アピールすべき点を間違えています。『危機感が伝わらない写真』を使い、上から目線での支援要請は反感を買うだけと言わざるを得ないでしょう。

 

(演劇など)芸術に生涯を捧げることで生まれる “純粋性” を訴えられない時点で支援は期待できない

 では、どのように世間に訴えるかと言いますと、次のような “3段活用” で語りかけるのです。

  1. (演劇など)芸術文化は不要不急の代表例だが、私達は芸術に人生を捧げている
  2. その純粋性に理解を示してくれる人(≒ 観客)もいる
  3. この素晴らしい関係を途絶えさせたくないから、周囲と同じ助け船を用意して欲しい

 主張内容として難しくもなく、どの業界・分野にも応用できるシンプルなものです。文化・芸術業界にいるなら、『表現』はお手の物のはずですし、どのようなメッセージを送れば世間に響くのかを理解することは日常的な行為と言えるでしょう。

 上述の山田由梨氏は劇作家・演出家ですから、ハフポで使うべき写真は「劇本番に向けて演出指導をしている最中の1枚」であり、「観劇した人々が出演者を称えている1枚」が適当です。

 しかし、そのような1枚は選ばれませんでした。「お遊戯とは違う」と主張するなら、価値を認めた上で資金を提供してくれる “パトロン” を用意できなかった文化人の見通しの甘さによる自業自得です。

 様々な分野に喧嘩を売り歩いて来た経歴のある音楽・演劇などの文化界がそれらの分野で生計を立てていた人々を中心に反発されるのは当然のこと。過去に自分たちが述べて来た言動がブーメランになって襲っているだけと見なされるでしょう。

 

平田オリザ氏や坂本龍一氏に業界内から引導を渡せないなら、まとめて沈むだけ

 音楽・演劇・芸術面への救済はおそらく世間から容認されないでしょう。なぜなら、発言力の大きい重鎮として君臨する人々が様々な分野を逆なでしてきたからです。

 「コンクリートから人へ」の平田オリザ氏や「たかが電気」の坂本龍一氏が代表例です。

 “業界内の良識派” が彼らに引導を渡さない限り、「【演劇】から人へ」や「たかが【音楽】」と過去の主張がすべてブーメランとして戻ってくるでしょう。

 文化を牽引してきた立場の人による問題発言に何も言えないなら、「(税金などを投入してまで)守る価値はない」と判断されるのは当然です。なぜなら、「自分たちが収益を上げられる範囲内で身の丈にあった活動をすれば良い」と見なされるからです。

 不要不急な興行なのですから、「 “不要不急の資金” で運用できる『株式の初期投資』の状況にまでスケールダウンすべきでは」との提案を受け入れざるを得ない現状であることを自覚しなければなりません。

 それに NO と言いたいのであれば、相応の説得材料を自分たちで用意する必要があると言えるではないでしょうか。