「いじめの解決に消極的だった場合はペナルティー」に制度変更しないかぎり、いじめ問題は減少しない
横浜市で同級生に約150万円を払わされた行為がいじめと認定されなかったことに被害者側が異議を示したとNHKが伝えています。
生徒が起こす様々な問題を “いじめ” として学校側が対処する現行制度に問題があるのです。この点を改善しないかぎり、深刻ないじめ問題が減少することはないと言えるでしょう。
原発事故で横浜市に自主避難してきた現在、中学1年の男子生徒が、転校してきた小学校でいじめを受けていたもので、生徒側は同級生におよそ150万円を払わされていた行為については、いじめと認定されなかったことから市側に改めるよう求めています。
これについて、横浜市教育委員会の岡田優子教育長が今月20日の市議会で、「同級生らが『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは難しい」と述べたことに対し、23日、生徒側の弁護士が発言の撤回などを求める申し入れを行いました。
“いじめ” と認定するかは裁量者の判断によって異なってくるでしょう。
日々の仕事に忙殺される教員が積極的に “いじめ” を認定し、仕事を増やすことを消極的になるのは当然です。また、一方の生徒が主張する内容だけを根拠に “いじめ” を認定することは加害者とされた生徒の一生を冤罪で潰す可能性があるだけに権限の行使を躊躇することを責めることはできません。
現実的に可能な対応策は「いじめと認定されたケースで解決に消極的だった場合に限り、ペナルティーを科す」というものです。
「いじめに該当するか」は現場の教員ではなく、外部の第三者に判断を委ねるべきでしょう。なぜなら、調査を行う業務を教員に負わせる時点で、負荷が増えることになるからです。
また、「いじめを解決できない場合はペナルティー」という罰則は効果的ではありません。これは “学校外で起きたいじめ” に手出しできないことが理由です。
教員の権限は学校内に限定されるのです。下校後に生徒が起こした問題行為を改めさせるのは教職員ではなく、生徒の保護者でなければなりません。保護責任者に本来の責任を問うという当たり前のことをしなければならないのです。
横浜市でのいじめ問題で責任を問うなら、加害生徒とされる生徒たちの保護者でしょう。一般人を非難すると火傷をするリスクがあるマスコミが教育委員会をサンドバッグとして攻撃しているにすぎません。
金銭を脅し取られたのであれば、被害生徒は警察に訴えるべきです。
社会的な注目度は非常に高いのですから、訴えが正当なものであれば、捜査は進展することでしょう。そうした動きが皆無に近いことは奇妙なものです。捜査されると、「言いがかり」や「証拠不十分」となる可能性が高いから、“いじめ問題” として救済を求めているのでしょうか。
『自主避難』を正当化させるために “いじめ” を社会問題化させることは政治活動と変わりません。特定のイデオロギーに合致するケースだけに注力すると、事態は泥沼化することでしょう。
震災から6年経過して、『自主避難』の言葉を使っている時点で問題です。「震災を機に福島県から引っ越した」という生徒がいじめられたというニュースはなく、「福島から自主避難した生徒」ばかりが取り上げられているのです。
“いじめ問題” というテーマを使い、マスコミが「福島は放射能で汚染されている」という “いじめ” を行っているだけと言えるでしょう。
「いじめ」に焦点を当てているなら、「福島からの自主避難」という枕詞は不要です。そうではない訳ですから、重きが置かれているのは「福島が汚れた土地」というマスコミの差別思想と判断できるのではないでしょうか。