ニコール・キッドマンの発言をバッシングし、マドンナの発言を擁護するフェミニストの異様な価値観
トランプ大統領の就任に反対する女性たちが中心となったデモ活動が行われましたが、マドンナの発言内容が物議を醸しています。
その一方で、ニコール・キッドマンの民主主義を肯定する発言にはバッシングが浴びせられているのですから、“フェミニスト” のご都合主義が浮き彫りになったと言えるでしょう。
大きな批判が寄せられたニコール・キッドマンの発言は以下のものです。
彼が当選したのだから、私たちは国として、誰であっても大統領を支持する必要がある。なぜならば、それが国の基礎になっているからだ。
BBCから「トランプ大統領に関する見解」を求められ、上記のように意見を示しています。“民主主義” である以上、選挙という決められたプロセスを経て、選出された大統領を肯定することは当たり前のことです。
ニコール・キッドマンの考えは肯定されるべきものと言えるでしょう。
大統領候補として、選挙を戦い、大統領に選出されたのです。これを否定することは民主主義を否定することと同じと言えるでしょう。しかし、「トランプ支持」だと発言が炎上することとなったのです。
ニコール・キッドマンの発言に噛み付いた人々は「ドナルド・トランプの価値観は認めない」という前提で批判をしているのでしょう。女性軽視的な発言が過去にあり、特にフェミニストが批判の急先鋒となっています。
その中で墓穴を掘ったのはマドンナでしょう。『女性たちの行進(Women's March:ウィメンズ・マーチ)』というイベントで「ホワイトハウスの爆破も考えた」と問題発言を行い、“Fワード” も連発しました。
マドンナの問題発言に対し、フェミニズムやリベラル界隈から批判の声が上がらない時点で致命的です。
自分たちが批判する際は発言の一部を槍玉にあげる一方で、自分たちが批判される側に回ると「発言の一部を切り取るな、発言全体を聞いて、理解しろ」と釈明するほどダサいものはありません。
プライドの高いフェミニストやリベラルとって、「自らの非を認めて謝罪すること」は “社会的な死” を意味するのでしょう。死を回避するために弁解したくなる気持ちは理解できなくもないですが、下手な弁解が活動の正当性を根底から揺るがしていることを自覚する必要があります。
今回、ワシントンを中心に行われた『ウィメンズ・マーチ』ほど、失望させられるデモ活動はないと言えるでしょう。オバマ大統領のスタンスを高く評価していますが、8年に渡るオバマ政権で女性が見殺しされた現実から目を背けていた事実を消すことはできません。
リベラルが心地よくなる演説により、アラブの世界は混沌となりました。シリアは中東で女性の社会進出が進んだ国でしたが、それが戦乱の中心地となり、女性や子供を含む住民全体への大きな被害が今でも続いています。
なぜ、シリア内戦で女性の人権が踏みにじられている時には声をあげず、トランプ大統領が就任すると「デモ活動で抗議の意を示さないものは差別主義者」という奇妙なロジックを展開するのでしょう。
『中東で最も女性に開かれた社会であったシリア』を「アメリカ』や『女性の人権を著しく制限しているサウジアラビア』などが破壊したことに抗議しない時点でお遊びにすぎないと一刀両断されてしまうのです。
トランプ大統領を批判するのは「報復されるリスクが高くなく、致命傷にならない」という確信を持っているからでしょう。女性を軽視するという点ではイスラム教も同じですが、過激な手段による報復が現実にあるため、批判する度胸がないのです。
日本で例を出すなら、法政大学の山口二郎教授になるでしょう。演説で安倍首相に対し「お前は人間じゃない!叩き斬ってやる」と発言し、批判が起きると、取り巻きが「発言全体を確信した上で批判すべきだ」と擁護したケースです。
要するに、自分は安全な立場から好き勝手に相手をバッシングしているだけなのです。そして、批判には差別主義者という『レッテル貼り』で応戦し、カルト化の色合いを強め、支持者離れが起きることになるでしょう。
「有名人がやっている活動だから」という理由で飛びつくと、思わぬ火傷を負う危険があります。逃げ遅れたとしても、当の有名人は “コネ” で救助される可能性が高く、賛同した一般人だけが社会的な致命傷を受ける可能性が高いことを忘れてはなりません。
特に、多数の有名人がプロモーションをしている活動内容ほど、実態を調べた上で行動を起こす必要があるでしょう。手持ち資産が少ないほどリスクのコントロールには慎重になることは重要です。