学校に “ハラール対応給食” を要求するムスリムの声に対応する必要はない
日本で生活するムスリムの女性が学校での給食や礼拝という点で配慮を示してほしいと訴えていると静岡新聞が伝えています。
この要求に対応する必要はありません。「十分な配慮」はすでに示されており、特定の宗教に公立校が配慮を示すのであれば、他の宗教にも配慮する責務が生じるため、歯止めが効かなくなるからです。
「ハラール対応」ではない学校給食に多くの保護者が悩んでいる様子が浮かび上がった。大半が毎日弁当持参か、豚肉使用のメニュー時におかずを持参する対応を取っていて、「給食は食べるが豚肉は残す」ように子どもに指示している家庭もあった。
(中略)
エフィさんは、ハラール対応の給食を出す福岡県内の私立保育園や金曜日の礼拝を例外的に認める浜松市内の学校などを紹介し、「ルールだから駄目というのではなく柔軟な対応を検討してほしい」と理解を求めた。
「弁当の持参を認める」という代替案が用意されており、“配慮” はすでに行われていると言えるでしょう。
もし、弁当持参すら許されず、出されたメニューは完食しなければならないのであれば話は別です。しかし、実態はアレルギーを持つ子供たちと同じ立場にいるに過ぎないのです。
厳しい直接的な言い方をすれば、「毎日弁当を作る手間をなくしたいから、給食がハラールに対応すべき」という一部イスラム教徒のワガママだと断言できるでしょう。このような要求は決して認めてはいけないことです。
「マイノリティーであるイスラム教徒の声に配慮すべき」との訴えが認められたのであれば、“アレルギーを持つ子供たち” の親が「アレルギー除去食の給食を用意すべき」と訴えられた場合も同様に対処する責任が生じます。
宗教的に食べられないメニューには対応する一方、アレルギー反応が出て、肉体的に食べることのできないメニューに対応しないというダブルスタンダードは通用しないと言えるでしょう。
“ハラール対応の給食” が出されるというのは私立保育園でのこと。育ち盛りの子供たちが通う公立校での話ではありません。私立校であれば、特定宗教の教えに基づく学校教育が可能であり、学習指導要領の範囲内でイスラム教の考えを押し出した教育を行えば済むことです。
「イスラム教徒にとって金曜日が休日だから休むことを認め、平日に当たる日曜日に代替授業を行うべき」との “要請” も遅かれ早かれ出てくることでしょう。このような横柄な要求を聞き入れていれば歯止めが効かなくなるのは自明のことです。
イスラム教徒が世界中で嫌われる傾向が現れる理由は「相手の要求を受け入れないにもかかわらず、一方的な配慮を要求するから」でしょう。
イスラム教の価値観が根付いていない土地で “ハラール” を声高に要求するが、自分たちの国では飲酒すら認めないのです。イスラム教徒が飲酒をする訳ではないにもかかわらず、アルコール類の購入ができない状況では反感を招くことになって当然です。
移住先の国や地域の文化を尊重せず、イスラム教の価値観を絶対的に正しいとして押し付ける姿勢を新たに共感する人はいないと思われます。公立校でイスラム教を特別扱いしなければならない理由を論理的に述べることができなれば、理解が広がらないことを知らなければなりません。
一部のイスラム教徒のために礼拝のスペースと時間が学校内に用意されることの方が異様な事態だと言えるでしょう。
「多文化共生ができる」というなら、公立校である静岡文化芸術大学が付属校を作り、イスラム教徒の “意向” を最大限汲み取った形でも問題なく教育を行うことができることを証明するべきです。そうすることで、批判的な意見を完全に抑え込むことができるはずです。
コスト面でバカにならないことは明らかですが、“多文化共生” にはコストを上回るだけの価値があるならアクションを起こさない理由にはならないことを教育者は自覚しているのではないでしょうか。