「抽選で国立大付属校の入学者を選ぶべき」と主張する文科省・有識者会議の委員こそ、抽選で選んではどうか

 “ゆとり教育” を推し進めて失敗した文科省がさらなる愚策を実施しようとしています。

 読売新聞によりますと、「国立大学の付属校の入学者を学力ではなく、抽選で選ぶべき」との提言を盛り込んだ報告書を文科省の有識者会議が出す見込みとのことです。

 エリートを育てることも公教育では必要なことです。高給を得るために欠かせない “有益なエリート教育” を受けられるのが私立校だけに限定されることの方が金持ち優遇となり、格差を広げる大きな問題となるでしょう。

 

 国立大学の付属校の入学者は学力で選ぶべきか、抽選で決めるべきかーー。

 文部科学省の有識者会議でこんな議論が交わされている。「エリート校化し、公立校の教育に貢献する役割を果たしていない」との批判から、近くまとめる報告書に、抽選で選抜するなどして様々な子供を入学させるよう求める提言が盛り込まれる見通しだが、困惑する声も聞かれる。

 (中略)

 付属校を担当する筑波大の宮本信也副学長は、有識者会議の議論に「抽選で合否を決めれば生徒の学力に幅が出て、教育の質を保てなくなる」と戸惑う。「科学に秀でた人材育成を目指しており、国の目的と合うはずだ」と強調した。

 

 学力テストを実施し、学力の近い生徒を選抜するから学校教育が可能になるのです。

 抽選で学力に差がある生徒が加わると、学力の劣る生徒のスピードに合わされるため、学力選抜を実施する他校から遅れを取ることになります。これが私学校を中心とした “お受験” の根幹にある訳です。

 エリート校として実績のある国公立大の付属校を捨てる意味はないと言えるでしょう。

 

1:抽選導入の旗を最初に振ったのは松木健一委員(副主査・福井大学教授)

 抽選による入学希望者選抜方針ですが、その流れを作ったのは有識者会議で副主査を務める松木健一・福井大学教授です。平成28年(2016年)9月の第1回目で次のように発言しているからです。

【松木副主査】 公立学校がなかなかできない,校種間を超えた教育研究開発,例えばインクルーシブ教育,幼小の連携,小中の連携といったことに附属学校は,取り組まなければならない。さらに,特定の層しか入学できないような,そして,受験校であるような附属学校から,共働きの家庭が入学でき,共働きの家庭を支えることができる,変化する社会構造に適った附属学校に変わっていなかんければならないということについても,大きく論議を展開していかなければならないと考えています。

 現在の国公立大・付属校は「受験校」という位置付けでしょう。しかし、学力テストの一発勝負ですから、共働き家庭の子供でも入学は可能です。

 確かに、裕福な家庭の方が受験に向けた準備に惜しみない予算をつぎ込めるため、多少のアドバンテージを持っていることは否定できません。

 ただ、合格枠は1つではないのです。1学年に在籍する生徒数が合格枠の総数であり、私立校に通学するために必要な学費を捻出できない家庭の賢い子供にとっては “唯一の選択肢” と言えるでしょう。

 

2:「“子供の貧困対策” のために、国公立大の付属校を犠牲にせよ」との考えには問題がある

 「国公立大の付属校でエリート校教育をやめろ」との主張は最近マスコミが取り上げるようになった “子供の貧困対策” が大きく影響していると言えるます。

 有識者会議では「公立学校のモデル校になるべき」や「貧困家庭の子供が通えるようにすべき」など国が面倒を見るべきとの流れで議論が進んでいます。ただ、これは間違った考えです。

 子供の学力には個人差があります。それと同様に、各家庭の経済力にも差があるのです。

 国公立大の付属校で “エリート教育” がなくなると、エリート教育を提供するのは私立校だけになります。貧しい家庭の出身であれば、学費の問題から私立校の受験は断念することになるでしょう。

 公立校に求められることは「誰でも教育の機会を受けられるようにする」ですが、その『教育』の中には受験校や進学校で行われている「エリート教育」も含まれているのです。

 高給を得たり、希望の職種に就くための『特急券』を貧しい家庭の出身者から奪い取る制度変更の方が、教育格差を助長する結果となり、完全な逆効果が生じると言えるでしょう。

 

3:超エリートを作り、経済活動や技術革新で日本社会に還元させるべき

 国が弱っている状況で、脱エリート路線は完全な愚策と言えるでしょう。むしろ、超エリートを排出し続ける学校教育をしなければなりません。

 “エリート” は放漫でイラつく態度を取るイメージがあります。しかし、そうした態度を取るのは何もエリートの専売特許ではありません。性格の悪いバカもいるのですから、エリートだけを批判する意味はないのです。

 有能なエリートを次々に世に送り出す教育システムがある方が社会全体が受ける恩恵は大きいはずです。

 世界的な超一流企業を日本で創業してくれれば、雇用・税収の面でリターンを享受できます。しかも、高給というオマケまで付いてくるのです。技術革新という形であれば、生活が便利になったという恩恵を多くの人が受けることになるのです。

 この可能性を捨てる必要はないと言えるでしょう。

 

 多くの国公立大の付属校は学区による制約がなく、“荒れる小学校・中学校” からの駆け込み寺となっています。才能が突出していることを妬まれず、他の公立校と変わらぬ学費で同様の学力を持つ生徒たちと切磋琢磨できる学校が批判・非難される理由はないでしょう。

 ちなみに、国公立大の付属校で抽選は「幼稚園・小学校が約 70%、中学校が 20% 弱,高等学校・中等教育学校がゼロ,特別支援学校が 30%弱」第9回の有識者会議で田中委員が発言しています。

 学力によって選抜され、高い学力を誇る国公立大の付属校から受験校・進学校としての機能を奪う意味がどこにあるのでしょうか。「抽選による生徒の選抜」が正しいと思うのであれば、文科省の有識者も抽選で選抜すべきでしょう。それをしていない時点で、意味のない提言と言えるのではないでしょうか。