「知的障害者を入試のテストで不合格にすることは差別」だと家族らが “結果平等” を求めて沖縄県教育委員会を批判する

 琉球新報によりますと、沖縄で重度の知的障害を持つ男性が高校受験で不合格となったことに対し、家族らが「学力で不合格とされるのは差別だ」と批判しているとのことです。

 高校の授業に付いていくだけの学力を持たない入学希望者を “特例で” 合格させると、入学後も特別対応が不可避となるでしょう。機会平等ではなく結果平等を要求しているのですから、高等教育の意義を否定する主張となっています。

 

 重度の知的障がいがある仲村伊織さん(16)=北中城中卒=が今年3月、2度目の沖縄県立高校受験に挑んだが、不合格となった。受験した1次募集の全日制、2次募集の定時制の2校はいずれも定員割れだったが、県教育委員会は「一定の点数が足りず、入学しても高校の教育課程をこなすことは難しい」としている。

 仲村さんの家族は3月28日に県教育庁を訪れ「テストで点数が取れないことが知的障がいの特性であり、今の選抜制度では本人の努力が反映されない。2次募集でも学力選抜で定員内不合格とされることは差別だ」と批判した。

 

要求される学力に達していないなら、不合格になるのは当たり前

 まず、学力が要求水準に達していないなら、入試で不合格となるのは当然でしょう。むしろ、点数が取れていないにも関わらず、合格している方が問題なのです。

 テストの点数には「本人の努力」が反映されているはずですし、“試験外の要素” を加点するように要求する方が不公平と言わざるを得ません。

 もし、そのような点数の算出方式が該当の受験者にだけ採用されているのであれば、それこそが「差別」です。『学力』という一般生徒と同じ評価基準を否定しているのですから、ゴネ得を狙っていることと変わらないと言えるでしょう。

 

「学力不足が理由の留年・退学はない」と高を括っているから、入試で不合格になったことを批判しているのでは?

 当該生徒の家族や支援者は「学力不足が理由で留年や退学になることはない」と決め付けている節があります。

 高校入試で学力が問題視されたのですから、中学校での履修範囲に問題があるのでしょう。つまり、“特別対応” で入試を突破したところで、高校1年での教育課程で不合格を連発することが濃厚です。

 要するに、ほとんどの教科で赤点になると考えられるのです。この場合は補習や追試という形で帳尻を合わせようとすることが一般的ですが、限度があります。

 高校は義務教育ではありませんし、中学よりも進級の基準は厳しく運用されていなければなりません。「入学すれば、問題を起こさない限り卒業できる」との間違った認識が根底に流れているから、「定員内不合格はおかしい」と主張しているのでしょう。

 

合格に値する成績を残さない限り、“差別の当たり屋” による不当な要求と同じ

 もし、世間を味方に付けたいのであれば、当該生徒が「合格に値する成績を入試で残すこと」が先決です。

 それができれば、「他の受験者と同等の成績を残したにも関わらず、知的障害者との理由で不合格になったとしか思えない」と真正面から正論で批判ができるからです。しかし、家族や支持者がやっていることは真逆の行為です。

 受験の点数に反映されない “本人の努力” も評価対象になるなら、「学力による選抜」が不可能になります。授業の内容が理解できないと置いていかれますし、妨害行為に走る生徒も出てくるでしょう。

 また、特定の生徒に過剰な配慮をすることも火種になります。“依怙贔屓(= えこひいき)” には子供も敏感なのです。一般生徒と同じ競争基準を否定しておきながら、「結果は同じにすべき」との要求は反感を買うだけと認識しなければなりません。

 

 支援者がいるのですから、まずは家庭教師として入試で合格水準に達することができるよう勉強を教えてあげるべきでしょう。『弱者』を持ち出せば、要求が満たされるとの認識は明らかに横柄と言わざるを得ないのではないでしょうか。