「危険を除去するための現実的な対応」を採らない沖縄の反基地運動

 12月13日に沖縄の普天間基地に隣接する小学校のグラウンドにアメリカ軍ヘリの窓枠が落下した事故で、『オール沖縄』や反基地運動を行う界隈が「批判の声」を強めています。

 批判が出ることは当然ですが、「危険を除去するための現実的な対応」を提案していないことが問題の本質と言えるでしょう。なぜなら、反基地活動を継続するために、わざと危険な状況を放置していると考えられる対応を終始しているからです。

 

1:普天間飛行場の設置後にできた普天間第二小学校

 「世界一危険」との枕詞でマスコミが紹介する在日アメリカ軍・普天間基地ですが、これは事実関係が逆転しています。なぜなら、普天間基地の前身である普天間飛行場が設置された当時、隣接地には何も存在しなかったからです。

画像:宜野湾市の航空写真(1945年当時)

 宜野湾市がウェブサイトで公開しているように、1945年(昭和20年)時点で普天間飛行場周辺に街は存在しないのです。後になって基地周辺に建設された街が「世界一危険だ」と批判するのは順序が完全に逆になっていると言えるでしょう。

  • 1945年(昭和20年):普天間飛行場が整備
  • 1968年(昭和43年)8月:普天間第二小学校に設置許可
  • 1969年(昭和44年)4月:普天間第二小学校が開校
  • 1972年(昭和47年)5月:沖縄の施政権が日本に返還

 

 

2:「普天間基地移転はNO」、「小学校の移転もNO」では “危険な状況” が続くのは当たり前

 在日米軍基地への反対運動を続ける個人・組織が「安全面」を重視しているのであれば、基地移転か(基地に隣接する)小学校移転を推進していることでしょう。

 しかし、基地移転反対・小学校移転反対の方が勝っているのです。これでは “危険な状況” が続いて当然です。「安全よりも、反対活動が優先されている」と見られて当然の状況を作ってしまっては元も子もないのです。

  1. 普天間基地の移転
    • 辺野古への移転により、危険は除去される
    • 土地の 90% を保有する民間への軍用地収入が消滅
  2. 普天間第二小学校の移転
    • 過去に2度の移転話が出るも否決される
    • 「国からの支援が少ない」と責任転嫁

 反基地運動を続ける活動家が致命的なのは「辺野古に移転を認めた上で、在日米軍基地が沖縄に存在する意義を問う」という選択肢が抜け落ちていることです。

 自分たちで「アメリカ軍基地があることが危険」と主張しておきながら、街中に基地がある状況を変えようとはしないのです。これでは「住民を人質にとり、自分たちの要求を飲ませようとしている」ことと同じです。危険な状況を放置し、被害が出ることで『被害者カード』を手にしようとする姿勢が透けて見えると言えるでしょう。

 

3:年間3000億円を超える沖縄振興予算があるのに移転話すらでない「オール沖縄」の現状

 沖縄県は年間3000億円を超える振興予算を手にしているのです。なぜ、その多額予算の一部を普天間基地に隣接する小学校などの移転に費やそうとしないのでしょうか。

 普天間第二小学校に2度目の移転話が起きた際、「国からの支援が少ない」と不満を述べていましたが、現実には『沖縄振興予算』という形で支援は十分すぎるほどに存在します。振興予算の実態が知れ渡るほど、移転の話題が上がらなくなったことは奇妙なことです。

 スクールバスを運行すれば、通学への支障は最小限になることでしょう。また、雇用が少ない沖縄に新しい雇用(≒仕事)を創出することに直結する訳ですし、財源は振興予算の配分を少し調整するだけで可能になるはずです。

 しかし、そうした動きは見えて来ないのです。現状の「世界一危険な普天間基地」という環境で反基地運動を展開する方が活動家にとって “オイシイ” ことは明らかです。「住民を危険にさらす反基地運動など論外だ」との批判が沖縄メディアから出ない訳ですから、魅力が失われて当然と言えるでしょう。

 

 沖縄の経済が上向かない理由は反基地運動で政府にタカり続けた成功体験を間違って学習してしまったことだと言えるのではないでしょうか。第三者が味方になるように方針転換をする必要があると思われます。