認知症の患者が勝手に出歩いて怪我をすれば入院施設に賠償判決が下されるのだから、「拘束を減らすべき」との学者からの提案は無意味

 「認知症の人々が入院した際、約3割が身体を縛られるなどの拘束を受けていた」との調査結果が明らかになったと読売新聞が報じています。

 これは止むを得ないと言えるでしょう。なぜなら、拘束を禁じるなら、認知症を抱える入院患者を24時間体制で監視し続けなければなりません。そのための人員コストは非常に高額であり、病院経営が成り立たなくなるという現実を司法・学会・メディアは自覚する必要があるでしょう。

 

 認知症の人が様々な病気やけがの治療で病院に入院した際、ほぼ3割が身体を縛られるなどの拘束を受けていたとする全国調査結果を、東京都医学総合研究所と国立がん研究センターの研究チームがまとめた。拘束の主な理由は入院中の事故防止だった。研究チームは「認知症の高齢者は、身体拘束を受けると、症状が進んだり筋力が低下したりしやすい。不必要な拘束を減らす取り組みが求められる」と指摘している。

 「事故」が起きれば、入院施設の責任となります。賠償訴訟では施設側が敗訴することでしょう。

 ただ、認知症の場合は「患者自身が禁止されている行為でも平気でしてしまう」という問題点があります。つまり、通常の患者よりも施設側が費やすコストが増えるため、『拘束』という選択肢は必要と言わざるを得ないものなのです。

 

「正しい医療や介護が提供されていれば、患者が亡くなることはない」との “司法の善意” が『地獄への道』を舗装済

 研究チームが現場を無視した提言を行うことは良くあることですが、司法もそうした判決を下すことは致命的と言えるでしょう。その証拠に熊本地裁が「95歳の認知症患者が亡くなったのは施設側の落ち度」とする判決を下しているのです。

 判決によると、男性は13年5月、認知症の投薬治療のため入院した際、車いすに乗って1人でトイレに行き転倒。頭を打ち、全身まひの障害が残り、寝たきりの状態となった。

 小野寺優子裁判長は判決理由で、男性は歩く際にふらつきが見られ、転倒する危険性は予測できたと指摘。その上で、「速やかに介助できるよう見守る義務を怠った」と述べた。

 認知症患者全員に施設の職員が24時間付きっ切りで介助すれば、転倒事故で病状が悪化する患者は限りなくゼロにすることは可能です。しかし、そのための予算がないのです。

 認知症の患者に「この行為は危険なので止めて下さい」と注意しても、その通りに動いてくれる保証はありません。「トイレに行く際は(介助が必要だから)一声かけて下さい」と言っても、無視されれば施設側にできることは何もありません。

 その際に今回のような転倒が起きれば、「施設側に落ち度があった」と損害賠償請求で敗けるのです。これでは介護業界に人が集まらないのは当然のことと言えるでしょう。

 

認知症患者による “不測の行動” を『身体拘束』以外に抑制できる有効な手立てはあるのか

 「不必要な拘束を減らす取り組みが求められる」との研究チームの提言は『正論』でしょう。しかし、『現場で効果のある現実的な解決策』を提案できないのであれば、提言は「単なるキレイゴト」に過ぎません。

 なぜなら、認知症は「判断力の欠如」が進行するため、“不測の行動” を起こす確率が一般人と比較すると高いからです。

 患者が不測の行動を起こした際の事故を防ぐには「患者の行動を制限すること」が効果的な解決策です。患者1人1人に職員が付くことで事故は回避できますが、現在の医療報酬ではそのための人件費を捻出することは不可能です。

 また、職員は認知症患者からの暴力行為などを受けても “泣き寝入り” を強いられるため、成り手がいないのです。しかも、責任を負う立場にない司法とマスコミが施設の対応をバッシングしているのですから、受け入れ可能な患者数の上限も少なくなることでしょう。

 現場に必要なのは「提言」よりも「結論」です。『身体拘束』を極力認めないとするなら、そのために必要となる予算を手渡さなければなりません。現場に無理難題を押し付ける行為こそ、批判されるべきことと言えるでしょう。

 

「認知症患者を高額な医療費を費やして延命させる意味」を議論し、結論を出すべきだ

 医療問題においては「高額な医療費を費やしてまで延命させる意味はあるのか」という点での議論を行うことは不可避です。なぜなら、膨大な医療費が国の財政を圧迫し、現役世代の生活を苦しくしているからです。

 「『高齢者の認知症患者』という “生産性” の見込めない人物にどれだけの医療費を計上する価値があるのか」をシビアに議論し、結論を出さなければなりません。

 医療費は社会保険料で賄われていますが、支払うのは現役世代で所得の 15〜20% にもなります。しかも、後期高齢者の窓口負担額は一般基準の3割ではなく、2割なのです。こうした不公平な制度が “チューブ人間” を生み出す温床となっているのです。

 重度の認知症を患った老人でも生きていれば、日本人の平均寿命を伸ばすことに貢献します。「そのためにどれだけの医療費を費やすことが容認されるのか」を実際の数字を出した上で、50歳未満の日本人に結論を出させるべきでしょう。

 “逃げ切り” に入った高齢者に意見を求めたところで、保険料を払う立場ではない彼らの主張は「今まで以上に社会保障を充実させろ」という真逆のものが多数派になることが見えているからです。

 

 キレイゴトを述べるだけの「机上の空論」に酔いしれるのではなく、“ドス黒さ” が存在する「現実」を見据えた具体的で現実的な議論を行い、結論を示す必要があると言えるのではないでしょうか。