玉城・沖縄県知事、「普天間基地の固定化につながりかねない辺野古への移設は止めろ」と意味不明な主張をメディアの前で述べる

 名護市・辺野古への移設工事に反対する沖縄県の玉城知事が安倍首相との会談を行ったと NHK が伝えています。ただ、会談後に「普天間基地の固定化につながりかねないから、移設工事を止めろ」と語ったのは失態と言わざるを得ません。

画像:記者団に見解を述べる玉城知事

 なぜなら、普天間基地の機能が辺野古に移設される予定であり、この計画を止めると、普天間基地の固定化が進むことになるからです。

 

 アメリカ軍普天間基地の移設計画をめぐり、安倍総理大臣は19日、沖縄県の玉城知事と会談しました。玉城知事は工事を1か月程度中止して協議に応じるよう要請したのに対し、安倍総理大臣は移設計画への理解を求めたうえで話し合いには応じる考えを伝えました。

 (中略)

 会談のあと、玉城知事は記者団に「普天間基地の固定化につながりかねない辺野古の工事はやめ、話し合いの期間を作ってほしい。政府の考えを早期に聞かせてほしい」と述べました。

 玉城知事が安倍首相との会談後に記者団に対して述べたことはあまりに致命的です。

 「沖縄県知事として有しているべき知識が欠落している」と言わざるを得ないものであり、発言内容の訂正が必要なレベルです。これを自覚できていなければ、話し合いをする必要すらないと言えるでしょう。

 

辺野古の埋め立て工事は「普天間基地の機能移転」をするためのもの

 名護市辺野古で埋め立て工事が行われている理由は「在日アメリカ軍の普天間基地機能を移転させるため」です。

 メディアが “世界一危険な飛行場” との枕詞を付けて紹介する基地の機能を移転することで、「危険性を除去する」という目的があります。つまり、トレードオフの関係にあるのです。

  1. 辺野古移設を進める
    → 普天間基地の危険性を除去できる
  2. 辺野古移設を辞める
    → 移設先がなくなり、普天間基地は固定化が進行

 要するに、どちらかを選択しなければならない状況なのです。しかし、沖縄は「どっちの選択肢も嫌だ」と駄々をこねているのです。これでは味方が減っていくのは当然と言わざるを得ないでしょう。

 

「提示された案はどっちも嫌だ。新しい提案を出せ」とゴネているのが “オール沖縄” の姿勢

 沖縄の態度は「甘やかされて育ったガキ(= spoiled brat)」と言えるでしょう。

 「普天間基地の閉鎖」を要求し、「辺野古への移設」で合意して実際に工事が始めると「環境破壊を理由に移設反対」を表明。『辺野古移設の代案』を提示することなく、「沖縄は虐げられている」と逆ギレする有様です。

 このような政治的姿勢は明らかに逆効果です。新聞やテレビが情報伝達経路を独占していた時は「沖縄にとって都合の悪いニュースを極端に小さく扱うこと」が容易でした。しかし、インターネットが一般化した現代では「どのようなニュースでも平等に届けられてしまう」のです。

 そのため、以前は通用していた横柄な交渉態度を採れば採るほど、世間一般に「横暴な要求をし続けている」と知れ渡ることになります。

 「なぜ、沖縄のワガママだけ許されるのか」との質問に正面から “記録に残る形で” 回答できる政治家はいないでしょう。それができるなら、ツイッターアカウント上に自身の発言動画をアップし、正当性を訴えている大物政治家を容易に見つけられるはずだからです。

 

話し合いを要求するなら、「在日米軍と日本政府が納得する代替案」を沖縄県が持ってくることが筋

 玉城知事は「話し合いの期間を設けて欲しい」と要望していますが、これは意味のないパフォーマンスです。そもそも、沖縄県は翁長前知事時代に訴訟で敗けています。

 “話し合い” でまとまらなかったから、訴訟に持ち込まれたのです。この事実を棚にあげ、「新たな話し合い」を要求することは論外と言えるでしょう。

 もし、話し合いをしたいのであれば、相応の手土産を “沖縄が” 用意しなければなりません。少なくとも、『普天間基地の辺野古移設』に取って変わることが可能な『在日米軍と日本政府が納得する代替案』が不可欠です。

 そのような準備をせず、一方的な要望を出すだけだから「ゴネているだけ」と見なされるのです。政府の考えは「普天間基地の危険性除去ため、辺野古への移設を進める」というものです。

 これを変えたいのであれば、「普天間基地の危険性除去ため、〇〇を行う」という現実的な提案を “沖縄が” することが求められているのです。文句を言うだけでは話にならないでしょう。

 

 まずは「普天間基地の固定化につながりかねない辺野古の工事は止めるべき」と述べた玉城知事が発言の真意を説明すべきでしょう。本心でこのように発言したのであれば、現状認識の段階で問題があり、話し合いを検討することすら時間の無駄となってしまうからです。

 無理筋な擁護をするのではなく、問題のある発言には真意を問い質した上で批判することが求められていると言えるのではないでしょうか。