『拝謁記』で「昭和天皇が旧軍閥は否定も再軍備の必要性に言及していた」と NHK が報じる

 NHK によりますと、昭和天皇が再軍備や憲法改正の必要性について言及していた様子が宮内庁の初代長官を務めた田島道治氏の『拝謁記』より明らかになったとのことです。

 重要なのは「昭和天皇の考え方が “リアリズム” に基づくもの」でしょう。平和を実現するには欠かせない要素であり、『空想論』を語るだけの平和主義者とは一線を画す内容となっているからです。

 

 昭和27年5月8日の拝謁では、「私は再軍備によつて旧軍閥式の再抬頭(たいとう)は絶対にいやだが去りとて侵略を受ける脅威がある以上防衛的の新軍備なしといふ訳ニはいかぬと思ふ」と語ったと記されています。

 (中略)

 昭和27年3月11日の拝謁では、昭和天皇が「警察も医者も病院もない世の中が理想的だが、病気がある以上は医者ハ必要だし、乱暴者がある以上警察も必要だ。侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会ニある以上軍隊ハ不得已(やむをえず)必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」と述べた

 

政治思想に関係なく、昭和天皇の考え方は支持されるべき内容

 時系列に沿って昭和天皇の発言を整理すると以下のようになります。

  • 侵略者のない世の中になれば、武備は不要
  • 侵略者が人間社会にある以上、「軍隊は止むを得ず必要」との考えには残念ではあるが道理がある
  • 再軍備によって旧軍閥式が台頭するのは絶対に嫌だ
  • 侵略を受ける脅威がある以上、「防衛的な再軍備なし」という訳には行かない
  • 軍備がなければ、米軍に進駐して守ってもらう他はない

 上述の考えは政治思想に関係なく理解されることでしょう。なぜなら、日本が過去に経験した失敗も含めた上での現実主義に基づく考えだからです。

 ただ、日本国内の平和主義者が唱えているのは『非武装・中立』という “完全なお花畑” となっています。これは「非武装で中立なら、乱暴者の被害に遭うことはない」と言っていることと同じです。

 しかし、現実に目を向けると、煽り運転のように「乱暴者から一方的に言いがかりを付けられる事例」が起きているのです。そのため、非武装・中立を唱える平和主義者の主張を鵜呑みにすることは止めなければならないと言えるでしょう。

 

「『旧軍閥式』のどこに問題点があったのか」を踏まえ、再発防止策が講じられることが重要

 侵略者から領土や国民を守るために軍備は必要です。それがなければ、チベットやウクライナのように大きな軍事力を持つ国に侵略されてしまうからです。

 ただ、『旧軍閥式』が採用されていた日本は先の大戦で敗れており、この部分の反省は必要です。少なくとも、他国の軍隊制度と比較して『旧軍閥式』の問題点を洗い出すことは不可欠ですし、その上で必要な再発防止策を講じる必要があります。

 結論が導き出されていれば、それを啓蒙する活動に移ることが重要です。

 しかし、戦後70年以上が経過したマスコミが報じるのは「軍が悪い」の繰り返しです。これは軍部に責任転嫁していることと同じであり、根本的な問題解決策が施されているとは言えないでしょう。

 なぜなら、先の大戦で戦争を煽ったマスコミも共犯者だからです。情報伝達は新聞社など既存マスコミの独壇場でしたし、変化する戦況を報じる新聞社は売り上げが増加します。

 現在でも「従軍記者」という形でメディアは戦争を『報道のネタ』として使っているのですから、「マスコミが触れられたくない暗部にメスを入れられるか」が重要であると言えるでしょう。

 

“タダ乗り” は相手国に不満を募らせる要因になることを自覚・認識すべき

 日本が戦後に大きな経済成長ができた要因の1つは「安全保障の大部分をアメリカに丸投げできた」という点でしょう。

 終戦から間もない時期は資本主義と共産主義が対立し、後に冷戦が本格化しました。当時の日本は敗戦国で資産が乏しかったため、日本が共産圏に入ることを嫌うアメリカが安全保障を片務的に担うことは合理的だったと言えるでしょう。

 しかし、高度経済成長を経て日本が経済大国の仲間入りを果たすと「片務的な安保条約」に不公平感が生まれます。日本がアメリカの軍事力に “タダ乗り” しているように映るのですから、不満の声がアメリカから上がるのは当然です。

 したがって、「国力に沿った双務的な安全保障」へと移行することが必要不可欠な時代になっているのです。

 ところが、今の日本は「再軍備は止むを得ず必要」と語ったとされる昭和天皇の考えでさえ、マスコミや左派政党は否定的です。非現実的で浮世離れした『非武装・中立による平和主義』を主張し、それに対する支持が広がるほど国民は危険にさらされることになっているのです。

 

 日本の左派が有権者から支持されない理由は「現実主義的な考えをする人物がいないから」でしょう。「防衛的な再軍備は止むを得ないから、リベラル的な立場から現実的な政策を立案・主張する」ということをしないから、“お花畑” との批判がネットを通して可視化されているのです。

 空想論は身内から絶大な支持を得ることは容易ですが、第三者である世間一般からは呆れられるだけです。このことを自覚し、現実主義に基づく左派の論客をマスコミが重宝しない限り、リベラル陣営への風当たりは強いままと言わざるを得ないのではないでしょうか。