立憲民主党は『布マスクの配布(1億3000万枚・費用466億円)』を「批判」するのではなく、「政府案よりも優れた方法」を提示すべき

 立憲民主党が日本政府による『布マスク配布』を批判するツイートをしています。

画像:立憲民主党のツイート

 有権者が政策を論評するのは自由ですが、国政政党がそれで満足するようでは困ります。なぜなら、立憲民主党などは「批判」ではなく「政府案よりも優れた方法」を提示することが求められているからです。

 『最善の対策』が「『行政の監視』の名目による難癖」では話にならないと言わざるを得ないでしょう。

 

「新型コロナウイルスの感染拡大の抑制」を軽視しすぎているのではないか

 新型コロナウイルスは日本国内では医療従事者や保健所の奮闘もあり、死者は重症者は欧米諸国よりマシな状況にあります。そのため、「感染拡大の抑制」よりも「(その後の)経済活性化に向けた政策」に視線が向きがちとなっています。

  1. 新型コロナウイルスの感染拡大を抑制する(= 第一段階)
    • 『3密』を避ける行動をするように呼びかけ
    • マスク増産に向けた支援(月7億枚が実現の見込み)
    • 医療機関にサージカルマスクの供給
      • 3月中に1500万枚
      • 4月初旬に追加で1500万枚
    • 布マスク配布
      • 高齢者施設、障害者施設、小中学校に配布
      • 1億枚確保に目処が立ったため、全国5000万世帯に2枚ずつ配布
  2. 止めざるを得なかった経済活動を戻すための刺激策を講じる(= 第二段階)

 「マスク2枚」の初報は4月1日に行われた対策会議での発言の一部を切り取ったものです。

 他の対策を含む全体部分への評価を下すことも、「より効果的な方法がある」との指摘もしていないのです。野党やマスコミがやっていることは「現場で新型コロナウイルスの感染拡大に取り組んでいる人々の足を引っ張っているだけ」です。

 政策立案の責務を放棄した国政政党の存在価値はゼロと言わざるを得ないでしょう。

 

「マスクを入手することができない人々」をどう救済するのかの考えを示せ

 「行政の監視が役割」と主張する野党やマスコミは自分たちの手元にはマスクが潤沢にあるのでしょう。しかし、世間は深刻なマスク不足です。

 供給はあるものの、“開店と同時に購入できる立場にいる人々” が早朝から店舗に並ぶため買い占めが発生している状況にあります。また、『使い捨てマスク』は感染のリスクが高い医療機関などに重点配分する必要があるため、一般販売は難しいと言わざるを得ないでしょう。

 そのため、『布マスク』を一般世帯に配布することで世間の需用量を低くする効果があるのです。

 もちろん、「その必要はない」と主張することは可能です。ですが、立憲民主党はそのような主張はしていません。『最善の対策』とツイートはするものの、具体的な対策には言及していないのです。これは無責任なことです。

 

「布マスクの配布に466億円も使うことはけしからん」と言うなら、『より効果的かつ効率的な方法』を例示すべき

 ちなみに布マスクを配布する最大の狙いは「周囲への感染を可能な限り減少させること」です。

 布マスクで『周囲からの感染』を防げませんが、『周囲への感染』は極力抑えることができます。そうすることで患者数の増加に歯止めをかけることが見込めるため、医療崩壊を回避できる可能性が高くなるからです。

 立憲民主党は「マスク代・事務費・梱包費・配送費で466億円も使うとは何事か」と批判し、布マスク配布を止めさせようとしています。

 そのように主張するなら、『布マスクの着用と同じ効果が得られる代替案』を提示することが最低限の責務です。文句を言うのは誰にでもできます。しかし、今現時点で求められているのは「効果的な感染症対策」なのです。

 『布マスク配布』にしても、「立憲民主党が提示する方法なら〇〇億円も安くて同じことができる」や「同じ466億円でもマスクを〇枚多く配布できる」も立派な『代替案』です。こうした提案ができない国政政党は不要です。

 “国会議員の資格を持つマスコミ記者” としての活動に邁進するのであれば、議席は返上すべきでしょう。

 

 周囲の人に新型コロナウイルスを感染させる “攻撃力” が 70% 下がれば、全員の “防御力” が 70% 上がったことと同じなのです。『布マスク』にはこの効果が期待できるのですから、実施するべきです。

 もし、『布マスクを超える現実的な対応策』が存在すると主張するのであれば、それを速やかに指摘すべきです。「指摘・発表した政党の得点」と「政府与党の失点」が同時に加算されるため、“後出し” をする必要はないでしょう。

 『政策立案能力』という国政政党や国会議員が問われる能力を示す場面から逃げ続け、無責任な論評をする姿勢を改める必要があると言えるのではないでしょうか。