「式辞に歌詞を引用したら、JASRAC から使用料を請求された」との “飛ばし記事” を書いた京都新聞こそ、批判されるべきだ
京都新聞が5月19日付の記事で「式辞に歌詞引用、著作権料を」と書いています。
内容自体が誤報なのですが、“JASRAC 憎し” の感情を持つ人々が誤報を出したマスコミではなく、JASRAC を批判していることは「ありえない」と言えるでしょう。
昨年ノーベル文学賞を受賞した米歌手ボブ・ディランさんの歌の一節を、京都大の山極寿一総長が取りあげた4月の入学式の式辞について、日本音楽著作権協会(JASRAC)がウェブ上に掲載した分の使用料を京大に請求していることが18日、関係者への取材で分かった。
京都新聞が最初に報じた件ですが、他の新聞が後追いし、ネットで JASRAC 批判が再燃するという事態になりました。
『引用』であれば、許諾は不要です。また、著作権料も発生しません。また、「引用のルールを守っているにもかかわらず、JASRAC から著作権料の支払いを求められた」との不満が報じられたことはありません。
取れる根拠のない相手に取り立てを行うほど JASRAC はバカではないと思われます。
誤報の責任を JASRAC に押し付ける姿は見苦しい
今回の件は JASRAC 外部理事を務める玉井克哉氏がツイートした内容に集約されていると言えるでしょう。
会見の場では「京都大学に請求していないとしても、そのような印象を世間に与えたのは事実。その責任をどう考えるのか」という趣旨の、愚かな質問も出た。間違った報道をした者の責任を、なぜ肩代わりせねばならないのか。少なくとも、誤報の被害者に対してマスコミが聴くことではなかろう。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年5月24日
「JASRAC が京都大学に使用料の請求をした」との誤解を与えた張本人はマスコミ(=京都新聞)です。なぜ、誤報で悪者扱いされた側が「お騒がせした」と詫びる責任があるのでしょうか。
マスコミが事実に基づかない一方的な批判による騒ぎを起こしたことは今回が初めてではありません。「福島に対する風評被害」、「政権バッシング」の手法を “焼き増した” だけと言えるでしょう。
「引用の範囲内か」を確認されることは考えられる
「雅楽に著作権がある」との理由で使用料を請求して失笑を買った JASRAC ですが、他に目立ったミスがないことは特筆すべきです。“嫌われ者” であるなら、根拠のない請求はネットなどで暴露されていてもおかしくないからです。
報道番組が “お詫びと訂正” を放送で頻繁に行っていることを考えると、JASRAC の仕事内容は悪いとは言えないはずです。
ただ、「適切な引用を行っているか」という点では問い合わせがあっても不思議ではありません。引用のルールは著作権法で以下のように定義されています。
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
歌詞の一部を引用して、式辞を述べることはセーフです。ですが、「式辞の大部分がボブ・ディラン氏が著作権を持つ歌詞になっている」という場合は引用の範囲を超えており、使用料の請求が来ることになると思われます。
JASRAC を批判するのであれば、“問題となる行為” を具体的に指摘した上で、論理的な根拠に基づく批判を行うべきです。「JASRAC なら、やってそう」という思い込みによるバッシングは多数派である第三者の中間層からの支持を失う原因になるからです。
無責任な報道に対する批判を行わなければ、メディアの暴走が止まることはないでしょう。JASRAC よりマスコミの無責任な報道体質の方が問題視すべきと言えるのではないでしょうか。