北朝鮮の本音は「対話持続中は挑発は再開しない(が、核兵器の研究・開発は継続する)」であろう

 「韓国と北朝鮮が4月末にパンムンジョン(板門店)で首脳会談を開くこと合意した」との発表が韓国政府からあったと NHK が報じています。

 おそらく、多くのメディアが好意的に報じることでしょう。しかし、この動きは “時間稼ぎ” をしたい北朝鮮の思惑が見え見えとなっています。

 過去に同じ失敗を何度も繰り返しているだけに、アメリカ(や日本政府)がどういった対応に出るのかが注目点と言えるはずです。

 

 核問題に関して、北朝鮮側は、朝鮮半島の非核化の意志を明確にし、北朝鮮に対する軍事的な脅威が解消されて北朝鮮の体制の安全が保障されるならば、核を保有する理由はないとする考えを明確にしたということです。

 さらに北朝鮮側は、対話が持続する間は、追加の核実験や弾道ミサイルの発射実験など、軍事挑発は再開しないと表明したとしています。

 まず、「北朝鮮は何の譲歩もしていない」という現実を認識しなければなりません。軍事挑発を止めている期間も核兵器や弾道ミサイルの研究・開発は可能であり、事態は何も変わってはいないのです。

 また、発表は韓国政府が行った内容に基づくものであり、韓国政府および大統領特使の思惑によってフィルタリングがされた状態であることも念頭に置いておく必要があると言えるでしょう。

 

1:『宥和論者』として積極的に “助け船” を出す韓国政府

 韓国政府の行為は『宥和政策』と言えるでしょう。敵対国(=北朝鮮)の主張・意図にある程度の賛同を示し、戦争回避および問題解決を図っているからです。

 ただ、宥和論を支持する勢力は極めて限定的です。

 なぜなら、敵対国に「自らの行動・政策を正当化する理由」として使われる上、歯止めが効かなくことが懸念されるからです。過去には「ミュンヘン会談」では宥和論に基づき、ナチス・ドイツの領土拡大を黙認しましたが、散々な結果で終わったことは誰もが知るところです。

 そうした歴史を学んでいるから、『宥和論』ではなく『抑止論』が外交面では主流となっているのです。

 

2:“北朝鮮に対する軍事的な脅威” は拡大解釈が極めて容易

 北朝鮮は核兵器廃絶に対し、「北朝鮮に対する軍事的な脅威が解消された上、体制が保証されるなら」という条件を提示しています。

 これは「非核化はしない」と宣言していることと同じです。

 北朝鮮に対する直接的な軍事的脅威は『在韓米軍』でしょう。『在韓米軍』は現時点で朝鮮半島から撤退する見込みはなく、“北朝鮮に対する軍事的な脅威” が消滅する可能性は極めてゼロに近い状態です。

 仮に、『在韓米軍』が撤退したとしても、北朝鮮は『在日米軍』の存在を引き合いに出し、「北朝鮮に対する(間接的な)軍事的脅威は残されたままである。従って、核兵器を放棄しない」と手のひらを返すことが可能です。

 『在日米軍』が撤退したとしても、「アメリカから攻撃のリスクにさらされていることに変わりはない」と容易に拡大解釈ができる文言であり、「北朝鮮の発言を信用したことで核兵器の開発時間をプレゼントしていた」という過去を思い出さなければならないことなのです。

 

3:今夏に完成すると見られる核兵器の開発時間をプレゼントする行為

 北朝鮮が開発に勤しんでいる核兵器や弾道ミサイルは今夏には完成するとの予測が出されています。

 そのため、北朝鮮としては「兵器を完成させるための時間稼ぎを行い、核保有国の状態でアメリカとの直接交渉を行い、体制保証をさせる」という戦略で動いていると言えるでしょう。当然、現体制を保証することをアメリカが渋るなら、“見せしめ” 的に核兵器を使うという選択肢を採ることもあるでしょう。

 「アメリカを恫喝する目的で日本に核兵器を使う」というシナリオは十分にあることなのです。

 また、「北朝鮮がプルトニウムの生産を再開させたと見られる」とテレビ朝日が3月6日付で報じています。『対話路線』をマスコミは盛んに報じていますが、それがダミーである可能性が高いことは北朝鮮の行動が示していると言えるでしょう。

 『米朝枠組み合意』を破棄し、『6カ国協議・共同声明』に違反した上、2007年には「ニョンビョン(寧辺)核施設の閉鎖」との引き換えで「経済制裁の解除と査察の受け入れ」に合意しました。しかし、2009年に北朝鮮が核実験に踏み切ったことで、譲歩は無意味なものとなったのです。

 

 北朝鮮の行動に理解を示すのは「自分が騙されることなどない」と考えるプライドの高い人が中心でしょう。過去に「北朝鮮との対話路線」を称賛した人は『宥和路線』を訴えることでしか、自分のプライドを守ることができないからです。

 失政を支持したことを反省できない一部の人々のエゴを満たすために多くの人々の生命・安全が危険にさらされているという現実は是正する必要があると言えるのではないでしょうか。