報道の自由度ランキング、2017年版も『国境なき記者団』と『フリーダムハウス』が付けた日本の順位には差が生じる

 「報道の自由度ランキング」という取材の自由度を示す調査があります。誤差はあるとは言え、調査を行えば似たような結果にあることは当然と言えるでしょう。

 しかし、『国境なき記者団』と『フリーダムハウス』による「報道の自由度ランキング」では日本の順位に大きな差が生じているのです。昨年もそうでしたが、『国境なき記者団』のデタラメ度合いに改善の見込みはない模様です。

 

 どちらの「報道の自由度ランキング」もポイント制で、0から100までで評価されます。0に近いほど、自由度が高いという意味であり、北欧諸国が高い評価を受けている特徴があります。

表1:『報道の自由度』ランキングの比較(2017年版)
  FreedomHouse 国境なき記者団
Rk Pts Rk Pts
アメリカ 33 (-5) 23 (-2) 43 (-2) 23.88
イギリス 39 (+2) 25 (0) 40 (-2) 22.26
フランス 44 (+7) 26 (+2) 39 (+6) 22.24
日本 48 (-4) 27 (-1) 72 (0) 29.44
イタリア 61 (+2) 31 (0) 52 (+25) 26.26
韓国 66 (0) 34 (-1) 63 (+7) 27.61
香港 80 (-4) 42 (-3) 73 (-4) 29.46
中国 186 (0) 87 (0) 176 (0) 77.66

 

 しかし、決定的に異なるのは日本に対する評価でしょう。フリーダムハウス版』では日本はイギリスやフランスと同等の自由度があるという位置付けです。

 ところが、『国境なき記者団版』ではイギリス・フランスとは水をあけられ、イタリア・韓国を下回るとの評価なのです。よほど、『国境なき記者団』で日本を評価した自称・ジャーナリストは過酷な環境に置かれているのでしょう。

 

「イタリアと韓国より日本には自由がない」と感じる一部メディア

 『国境なき記者団』の評価が胡散臭い理由はランキングを25位もあげたイタリアでポジティブな内容が皆無であることです。

  • 6人のイタリア人ジャーナリストが “死の脅迫” を受け、24時間警察の保護下にある
  • 五つ星運動のベッペ・グリッロは嫌悪する記者を名指しで批判
  • 記者への暴力行為は後を絶たない
  • 政治家からの圧力を感じる
  • 政治家、公務員、裁判官を侮辱すると6〜9年の懲役刑
  • 南部ではマフィアなど犯罪組織からの脅迫がある

 この状況でランキングが昨年から25位も上がるのですから、ある意味で非常に興味深いことです。

 マスコミだけが他者を侮辱しても罰せられないという特権はない訳ですから、「侮辱行為ができないことは言論萎縮につながる」と主張する方が滑稽なのです。侮辱するしか能のないマスコミは報道の現場から退場させなければ、「言論規制は止む無し」という世論が形成されることを自覚しなければなりません。

 

“ネットの自由度” が世界最高峰の日本で偏向報道は困難を極める

 “角度を付けた報道” ばかりを行ってきたフリーの外国人記者は「日本に報道の自由はない」と感じることでしょう。なぜなら、捏造する自由が与えられないからです。

 外国人という理由で甘めに見られていたことも、貯金を使い果たしました。また、ステレオタイプに基づく記事もネットで指摘が行われるようになり、質の悪い外国人記者が誰なのかもネット上で蓄積され続けています

 裏取りもせず、朝日新聞が英訳した記事に自らの感想を加えるだけだから、ネタ元である朝日新聞の記事に存在する矛盾を突かれる形で批判を浴びているだけなのです。

 「安倍首相から報道機関への圧力を感じる」など言う “個人の感想” をメディアが堂々と発信できている時点で『報道の自由』は十分に確保されていると言えるでしょう。イタリアより『報道の自由』がないのですから、2桁のジャーナリストらが “死の脅迫” を受け、警察の保護下になければ辻褄が合わなくなります。

 

ゴロツキを称賛するほど、取材制限は厳しくなる

 ゴロツキを称賛するほど、取材の自由度は下がることになります。“活動家” による取材活動を「ジャーナリストの手本」などと褒め称えれば、取材対象から敬遠されて当然です。

 報道であれば、記者の意見・見解は記事に含まれることはありません。しかし、実態は “記者が欲しいコメント” のみを掻い摘み、メディアが好むストーリーを「報道」として流すのですから、風当たりが強くなることは必然の流れなのです。

 「事実を正確に報道しろ」という要求を圧力に感じるのであれば、ジャーナリストを廃業すべきです。報道に携わるジャーナリストなら、実施済みのことで圧力にすらならないからです。

 もし、「ネット上での監視が厳しい」と思うのであれば、それは自分たちが事実に基づく取材活動を行って来なかったことを自白しただけに過ぎないのです。

 

 要するに、『国境なき記者団』による「報道の自由度ランキング」は報道の仕事ができないフリーの外国人記者が自由に取材活動ができるかを示している指標なのです。

 世界に影響力のある国は取材競争が厳しく、仕事のできないフリー記者には過酷な環境です。また、先進国ではネットが世間一般に普及しているため、「メディアの実力」が過大評価されてきたことも周知の事実となっています。

 この状況で、「報道の自由がない」とメディア関係者が叫んだところで、「無責任な情報を報じる自由はない」とネット上で大バッシングを受けることになります。“報道” を理由にすれば、侮辱行為がマスコミだけに認められる時代は終わったのです。

 誰もが情報の発信者となった現代で、既存メディアに近い距離にある “マスコミ関係者” だけが「報道の自由」を謳歌できると考えることは間違いであると言えるのではないでしょうか。