普天間閉鎖と辺野古移設反対を訴える立憲民主党、「日米同盟重視」の姿勢をアピールするために枝野代表が渡米

 NHK によりますと、立憲民主党の枝野幸男代表が「日米同盟重視の姿勢を伝えたい」との目的を持って11日午前に渡米したとのことです。

 ただ、立憲民主党は「普天間飛行場の閉鎖」と「辺野古への移設反対」を明言しています。『日米同盟重視』を主張したところで、上記の方針との矛盾を指摘されることは明らかと言えるでしょう。

 “コウモリ外交” は周辺国から嫌われるという現実を認識しなければなりません。

 

 枝野氏は、「立憲民主党は、できたばかりの政党なので、日米同盟を重視しているという基本的な立ち位置を日本に関心を持っているアメリカの皆さんに伝え、われわれが目指している日本の将来の姿も伝えたい」と述べました。

 このあと、枝野氏は、ワシントンに向けて出発し、現地での滞在中、おととし行われたアメリカ大統領選挙の民主党の候補者選びで、クリントン元国務長官と最後まで争ったサンダース上院議員と会談するほか、現地の大学で講演することにしています。

 

枝野代表の訪米理由は「サンダース上院議員との会談」が主目的であろう

 NHK は枝野代表の訪米理由を「日米同盟重視の姿勢を伝えるため」と報じていますが、本当の目的は「サンダース上院議員との会談」でしょう。

 なぜなら、立憲民主党は『格差』と『分断』に主軸を置く “福祉バラマキ型の左翼政党” です。2016年のアメリカ大統領選では民主党の予備選で極左サンダース上院議員が若者層からの支持を背景に善戦しました。

 “立憲民主党が掲げる理想像” を体現した上、全米にブームも引き起こしたのです。「サンダース上院議員と会談し、日本でも “ブーム” を作るための起爆剤にしたいとの思惑を持って訪米に望んでいる」と断言することに何の問題もないと言えるでしょう。

 「日米同盟重視の姿勢」を伝えたいなら、日本国内でそのような政治姿勢を示していることが大前提です。しかし、立憲民主党は日米同盟重視の政治姿勢を示していないのですから、訪米したところで「リッピサービス」程度にしか捉えられないと考えられます。

 

「普天間飛行場の閉鎖」と「辺野古への移設反対」を明言している立憲民主党

 枝野代表は「できたばかりの政党」と口癖のように述べていますが、8月末に言及した内容との整合性を取る必要はあるはずです。

 普天間飛行場の県外・国外移設の検証方針を撤回し、辺野古移設に転じた旧民主党政権時代との整合性については「この5年余りの間の状況の変化から、このまま基地の建設を続行する状況ではないという判断に至った。鳩山政権の閣僚の一員だった責任から逃げるつもりはないが、新しい政党として一から議論を進めた結果、辺野古に基地を造らない、普天間飛行場を返還する、日米安保の堅持の三つは併存可能と判断した」と強調した。

 立憲民主党は民主党政権の閣僚経験者によって設立させた政党であり、「辺野古移設に賛成」していました。これを “できたばかりの政党” を理由に方針を転換したのです。

  • 普天間飛行場の返還
    → 現在使用中の在日米軍はどうするのか
  • 辺野古移設は反対
    → 移転先は準備しない
  • 日米安保の堅持
    → 上記2点を実行すると、日米関係は悪化する

 枝野代表の主張する内容は非現実的です。なぜなら、(交渉相手である)アメリカ側にとっては何のメリットもありません。アメリカとの関係を悪化させる政策を採っておきながら、「日米同盟を重視する」と主張したところで信用されることはないでしょう。

 同様の政治姿勢を採るムン・ジェイン政権(韓国)の二の舞になることが目に見えているからです。

 

「『日米安保』は事前通告で一方的に破棄ができる」という現実

 枝野代表が致命的なのは「日米安保は1年前の通告で一方的に破棄ができる」という点を見落としていることでしょう。「地位協定が問題」と安易に口に出せば、「なら、安保条約を1度破棄して、双方が納得するまで交渉しようではないか」とカウンターが飛んでくることを念頭に置いておかなければなりません。

 つまり、アメリカは「 “わざと” 日本を無防備にした上で安保条約の再交渉をする」という手法を採ることもできるのです。

 実際に採らなくても、可能性を示唆されただけで日本を取り巻く安全保障環境は極端に悪化するでしょう。なぜなら、虎視眈々と侵略する機会を伺う中国に “絶好の侵略機会” をプレゼントすることになってしまうからです。

 そもそも、「集団的自衛権に反対」を掲げ、国会で徹底抗戦を行った政党のトップが「日米同盟を重視している」と主張しても信用されることはないと考えられます。

 

 文句を言うだけで仕事をした気になっている立憲民主党に “現実的な政策論議” をすることを求める方が酷なことと言えるでしょう。こうした姿勢に対する批判がないから、自分で情報を集め、自分の頭で考えることが当たり前になっている若者層の支持が得られないようになったと言えるのではないでしょうか。