「既存の原発を再稼動させた関電や九電の管内は他電力より電気代が2割程度安い」との分析を日経新聞が報じる

 日経新聞によりますと、電力自由化により電力料金が既存の原子力発電所の運転を再開させた関西電力や九州電力の管内で他の地域よりも2割ほど安くなっているとのことです。

 燃料費が必要とならない原発の運転を再開させた電力会社の電気代が安くなるのは当然です。経済を動かすためのエネルギーを安価で安定して供給する体制を整えることが政治やマスコミの使命と言えるでしょう。

 

 2016年4月に全面自由化された電気料金の「東高西低」が鮮明になっている。政府統計をもとに分析したところ、最も高い北海道と、安い関西・九州の差は約2割あることが分かった。発電コストが低いとされる原子力発電所が稼働する西日本で安い。

 (中略)

 ただ、足元で原発が低コスト要因となるのは既設のものであるためだ。

 

既存原発の運転が再開されることは「家計にとってプラス」

 日経新聞が記事で取り上げている主要電力会社による標準家庭の1ヶ月あたりの電気代は以下のとおりです。

表:標準家庭の1ヶ月の電気料金(2019年4月)
電気使用量
(kWh)
電気料金
(円)
単価
(円 / kWh)
北海道電力 230 7655 33.3
東北電力 260 7516 28.9
東京電力 260 7400 28.5
関西電力 260 6928 26.6
九州電力 250 6533 26.1

 単価で見ると、原子力発電所の運転を再開させた関西電力と九州電力の電気代が東日本よりも低いことは明らかです。

 つまり、原発の運転を再開させると「家計にとってプラス」となるのです。『弱者の味方』を掲げる政治家が本当に「弱者のため」を思っているなら、既存原発の運転再開に否定的になる理由はないはずです。

 なぜなら、原発の運転が再開されると電気代が低くなることは政府統計などの分析から明らかになっているからです。それを頑なに否定するのは「原発以外の発電で生計を立てている電力会社の回し者」と見られても止むを得ないと言えるでしょう。

 

「安価で安定した電力供給」は企業にとっても魅力的

 『安価で安定した電力供給』による恩恵を受けるのは一般的な電力消費者だけではありません。大口の需要顧客である企業も恩恵を受けます。

 例えば、韓国への輸出管理強化で注目を集めた半導体の製造工場は「ほぼ無人」です。

 韓国は「フッ化水素などを自国開発する」と意気込んでいますが、実用化の目処は立っていません。電気料金の水準で韓国と渡り合えるなら、「日本国内に製造工場を作れば良い」とサムスンなどに投資させる根拠になりますし、安価な電力供給は産業にとっても生命線なのです。

 ところが、日本の原子力規制委員会は原発の運転再開を阻むために東奔西走している有様です。これで喜ぶのは発電した分だけを強制的に買い取らせる権限を持つ再生可能エネルギー業者だけでしょう。

 その結果、一部の発電事業者だけが「濡れ手で粟」となり、ほとんどの電力消費者が強制的に損を被ることになるのです。それによって日本経済そのものが低迷するのですから、本末転倒だと言わざるを得ないでしょう。

 

「新しい発電方法が競争力を持つまで間は既存の原発を使い続ける」という選択肢すら除外する反原発派

 消費者目線で考えれば、「安価で安定した電力供給」が最優先であり、何で発電されたかは二の次と考えられます。

 つまり、原子力発電よりも安価で安定した電力供給ができる発電方法があれば、原子力発電に対するニーズは大きく減少するはずです。しかし、その条件を満たす発電方法が2019年時点では存在していません。

 にも関わらず、急進的な反原発派は「再生可能エネルギーなどにオールインせよ」と要求しているのです。「これほどの茶番はない」と言えるでしょう。なぜなら、反原発派の主張は 『電力会社の安定供給によって構築された通信インフラ” を経由して世間一般に届けられているからです。

 「再生可能エネルギーで問題ない」と主張するなら、活動を共にする仲間たちが情報を発信するウェブサイトなどは再生可能エネルギーだけで電源供給して運用を行うべきですし、その現実を世間に対して公表すべきです。

 なぜなら、それが世間一般に対して最も効果的な宣伝となるからです。「『安定供給ができない』と揶揄される再生エネで運用中」と言うことができれば、現時点で原発を再稼動させる最大の理由である「安価で安定供給が可能」という部分に一石を投じることができるからです。

 

 原発にだけ過剰な安全対策を要求する規制委員会の存在は害悪以外の何者でもありません。「価格競争で原発を上回ることができる安定供給が可能な発電方法」が確立するまでの間は既存の原子力発電所を再稼動させることが合理的な経済政策と言えるのではないでしょうか。